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森浩二
日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから
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森 浩二(もり こうじ、1962年1月1日 - )は、高知県中村市(現:四万十市)出身の元プロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
高知商高では、2年生時の1978年に、主戦投手として夏の甲子園に出場。決勝戦に駒を進め、PL学園高と対戦する。エース西田真次と投げ合い、2-0とリードして9回裏を迎えたが、優勝を目前にして逆転サヨナラ負けを喫した[1](逆転のPLも参照)。翌1979年春の選抜は、2回戦で牛島和彦、香川伸行らのいた浪商高に惜敗[2]。同年夏は県予選準々決勝で安芸高に敗退、甲子園には届かなかった。1年下のチームメートに中西清起がいる。
1979年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。
1982年には一軍に上がり登板。
1983年8月に初勝利、10月には初先発を果たす。
1988年には自己最多の42試合に登板。
1989年にも40試合に登板。いずれもチーム最多であった。しかしその後は故障もあって登板機会が激減。
1992年オフに西岡剛投手との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。
1993年は中継ぎとして21試合に登板し、リーグ優勝にも貢献するが、同年限りで現役引退。
2007年までオリックスのアシスタントスタッフ(打撃投手)を務めた後に、オリックスの選手寮「青濤館」の副寮長を務める。その後、2010年8月2日に前任の保谷俊夫の急逝により後任として寮長に就任した。
2013年7月1日からオリックスの編成部プロスカウト、2017年からオリックスの編成部プロ調査グループ長に就任した。
甲子園を沸かせた左腕もプロでは左のワンポイント要員に終始。また1球敗戦投手を2度記録しているのは森だけである。
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詳細情報
年度別投手成績
- 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更
記録
- 初記録
- 初登板:1982年6月21日、対近鉄バファローズ前期10回戦(藤井寺球場)、8回裏から3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初勝利:1983年8月2日、対近鉄バファローズ15回戦(平和台野球場)、2回表2死から2番手で救援登板、3回2/3無失点
- 初先発登板:1983年10月7日、対近鉄バファローズ24回戦(岡山県野球場)、2回1/3を1失点で勝敗つかず
- その他の記録
- 1球敗戦(1回目):1984年6月30日、対ロッテオリオンズ15回戦(阪急西宮球場)、同点の6回表から救援登板、レロン・リーに右中間二塁打
- 1球敗戦(2回目):1989年7月22日、対福岡ダイエーホークス17回戦(平和台野球場)、2点リードの8回裏1死一・二塁から救援登板、山本和範に右前安打
背番号
- 34 (1980年 - 1992年)
- 12 (1993年)
- 100 (1994年 - 2007年) ※打撃投手
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脚注
関連項目
外部リンク
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