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森﨑東

日本の映画監督、脚本家 (1927-2020) ウィキペディアから

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森﨑 東(もりさき あずま、1927年11月19日[1] - 2020年7月16日[2])は、日本映画監督脚本家である[3]

概要 もりさき あずま 森﨑 東, 生年月日 ...
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経歴

1927年11月19日、長崎県島原市に生まれる[1][4]京都大学法学部を卒業[5]

1956年、松竹京都撮影所に入社する[6][1]

1965年、大船撮影所に移籍し[3]野村芳太郎監督や山田洋次監督の助監督、脚本を手がける[5]

1969年、『喜劇 女は度胸』で監督デビュー[7]。以降、『男はつらいよ フーテンの寅』をはじめとする喜劇を撮り続ける[5]

1971年、一連の作品により、芸術選奨新人賞を受賞する[8]

1974年、フリーとなる[3]

1977年、居酒屋で口論となった学生の伊藤裕一を『黒木太郎の愛と冒険』の脚本製作に誘い、映画監督を目指す青年「伊藤銃一」役としても起用し、制作。

1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』を発表[5]

1996年、『美味しんぼ』を監督する[9]

2003年、第4回東京フィルメックス審査員を務める[10]。2004年、『ニワトリはハダシだ』が第17回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され[11]、最優秀芸術貢献賞を受賞した[12](同作は第54回ベルリン国際映画祭フォーラム部門の招待作品にもなっている[1])。

2005年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞[13]

2013年、9年ぶりの新作となる『ペコロスの母に会いに行く』を発表[14]第87回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位に選ばれた[15]

2014年、体調不良で欠席予定だった『黒木太郎の愛と冒険』上映イベントに体調不良を押して途中から参加した。

2020年7月16日午後10時15分、神奈川県茅ヶ崎市内の病院に於いて脳梗塞のため亡くなった[2][16]。92歳だった[1]

没後の2020年11月21日から12月11日までシネマヴェーラ渋谷で特集上映「追悼特集 森﨑東党宣言!」[1][17]が、翌年2021年の7月24日から9月3日まで大阪のシネ・ヌーヴォで「一周忌追悼特集 : 森﨑東 “たった一人の反乱的美学” Azuma Morisaki, retrospective」[18][19]が開催された。

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フィルモグラフィー

映画(脚本)

映画

出演

  • 世界の終わりという名の雑貨店(2001年 監督・脚本:濱田樹石)
  • ETV特集『記憶は愛である~森﨑東・忘却と闘う映画監督~』[21](2013年12月21日 NHK教育テレビジョン

テレビ映画・テレビドラマ

  • 泣いてたまるか 第70話「まごころさん」(1968年、TBS)- 脚本
  • 男はつらいよ(1968年 - 1969年、フジテレビ)- 脚本
  • ドカンと一発!(1968年 - 1969年、TBS)- 脚本
  • 笑ってよいしょ(1968年、日本テレビ)- 脚本
  • すかぶら大将(1969年、フジテレビ)- 脚本
  • 今日夢人間(1973年、NHK)- 脚本
  • 火曜ドラマシリーズ「ちょっとしあわせ」(1974年 - 1975年、NET)- 脚本
  • わが楽園(1975年、NHK)- 脚本
  • はぐれ刑事(1975年、日本テレビ)- 監督
    • 第5話「偽証」
    • 第6話「姉弟」
  • 長崎犯科帳(1975年、日本テレビ)- 監督
    • 第6話「虎の罠を噛み破れ」
    • 第23話「風の噂の孫七郎」
  • あがり一丁!(1976年、日本テレビ)- 脚本
  • 欲望の河(1976年、東海テレビ)- 監督
  • 青春の甘き香り(1977年、東海テレビ)- 監督・脚本
  • 新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅 最終回「京都」(1978年、ABC) - 監督
  • 翔べ! 必殺うらごろし(1978年、ABC)- 監督
    • 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」
    • 第2話「突如奥方と芸者の人格が入れ替わった」
  • ハッピーですか?(1978年、日本テレビ) - 脚本
  • 幽霊海岸(1978年、テレビ朝日) - 監督
  • 熱中時代(1978年 - 1979年、日本テレビ) - 脚本
  • 田舎刑事 まぼろしの特攻隊(1979年、テレビ朝日) - 監督
  • 俺が愛した謎の女(1979年、読売テレビ) - 監督
  • 帝銀事件 大量殺人・獄中32年の死刑囚(1980年、テレビ朝日) - 監督
  • 妻の失ったもの(1981年、読売テレビ) - 監督
  • カムバック・ガール(1982年、毎日放送)- 脚本
  • 妻は何を見たか(1982年、テレビ朝日) - 監督
  • 天使が消えていく(1982年、福岡放送) - 監督
  • 花嫁のアメリカ(1982年、読売テレビ) - 監督
  • 妻は何をしたか(1983年、テレビ朝日) - 監督
  • 妻は何を感じたか(1983年、テレビ朝日) - 監督
  • 赤い妄執(1983年、読売テレビ) - 監督
  • ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第1回「昭和20年8月15日 終戦日の荷風と潤一郎」(1984年、テレビ朝日)- 監督
  • 赤い本能(1984年、読売テレビ) - 監督
  • 赤い罠(1985年、読売テレビ) - 監督・脚本
  • 遺言状戦争(1985年、読売テレビ) - 監督・脚本
  • 喜劇・ああ結婚式(1986年、読売テレビ) - 監督・脚本
  • 喜劇・ああ出産(1986年、読売テレビ) - 監督・脚本
  • 家族の肖像(1987年、読売テレビ) - 監督
  • ああ離婚(1987年、読売テレビ) - 監督・脚本
  • 喜劇・ああ未亡人(1988年、読売テレビ) - 監督・脚本
  • 帰郷(1988年、読売テレビ) - 監督
  • 妻の疑惑(1989年、読売テレビ) - 監督
  • 金のなる木に花は咲く(1990年、読売テレビ) - 監督
  • 弟よ!(1990年、日本テレビ) - 監督・脚本
  • 離婚・恐婚・連婚(1990年、日本テレビ) - 監督
  • 火曜サスペンス劇場(日本テレビ)
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著書

  • 『頭は一つずつ配給されている』パピルスあい 発行、社会評論社 発売、2004年8月。ISBN 4-7845-9101-X

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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