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正覚寺 (愛知県扶桑町)
愛知県扶桑町にある寺院 ウィキペディアから
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沿革
創立は詳らかではないが、本尊の薬師如来像は742年(天平14年)に聖武天皇の勅命により行基が自作したと古記録に伝わる[1]。かつては真言宗の巨刹であったが、度重なる火災により廃頽したことから、1509年(永正6年)に臨済宗の友峰宗益が再興し、中興の開山とする。1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの際に伽藍をはじめ累世の宝器、文籍などが悉く焼失し、廃寺となり境内も狭められた。1959年(昭和34年)2月に現在の本堂が再建された。現在は本堂の他に、庫裏と経堂が建ち、町指定文化財の円空仏がある[2]。
文化財
- 十二神将像(扶桑町指定有形文化財)[2] - 1974年(昭和49年)4月5日指定[4]。本尊薬師如来の両脇に、薬師如来を護る眷属として12体揃って安置されている。作者は円空で、寛文末から延宝初期(17世紀後半)の作と推定されている。12体全てが直径70cmほどの丸木を縦割りにした同木から作られており、円空の十二神将としては初期の作品である。大きさは63.4cmから76.5cmであり、額に干支が刻まれている。円空仏は愛知県、岐阜県の各地にあるが、十二神将は数が少ない。近隣では江南市の音楽寺に11体残されている。
- 大般若波羅密多経(扶桑町指定有形文化財)[2] - 1988年(昭和63年)1月25日指定[5]。1782年(天明2年)より1794年(寛政6年)まで13年間の年月をかけて元竜泉寺和尚是孝が書き写したもの。所々の巻末に法名、援助者、費用等が記されている。和装折本、縦30cm、横50cm、高さ30cmの文庫式木箱一箱に50巻入、漆塗り桐箱12箱。
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その他
境内に地区の集会場が建っている。
脚注
関連文献
参考資料
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