トップQs
タイムライン
チャット
視点
武田五一
建築家 ウィキペディアから
Remove ads
武田 五一(たけだ ごいち、1872年12月15日〈明治5年11月15日〉 - 1938年〈昭和13年〉2月5日)は、日本の建築家・建築学者。京都帝国大学建築学科創設者で、関西建築界の父といわれる。アメリカの著名建築家フランク・ロイド・ライトを日本に紹介した人物でもある。
評価
備後福山(現・広島県福山市)出身。「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家。ヨーロッパ留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなど、新しいデザインを日本に紹介した建築家とも言われる。建築以外にも工芸や図案・テキスタイルデザインなども手掛けた。自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎・瀧本義一など多くの後進を育成した[1]。また、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の設立にも関与[2]。この他「新建築」創刊も指導した[3][4]。フランク・ロイド・ライトとも親交があり、国会議事堂建設をはじめ多くのプロジェクトに関与している[5]。法隆寺、平等院などの古建築修復にも関わりが深い。
年譜
- 1872年(明治5年)元備後福山藩士で司法官の父・武田平之助(直行)と母・八重の間の1男第5子として出生
- 1894年(明治27年)京都第三高等中学校本科卒業。帝国大学工科大学造家学科入学。
- 1897年(明治30年)東京帝国大学工科大学造家学科卒業(同期には関西工学専修学校/現大阪工業大学初代校長・理事長で、日本建築協会会長を30年務めるなど関西建築界の重鎮で知られる片岡安がいる)。卒業論文は「茶室の沿革」。同大大学院に進学。在学中から妻木頼黄の下で旧日本勧業銀行本店の設計補助、伊東忠太と台湾神宮の共同設計を行う
- 1899年(明治32年)大学院を中退し、東大助教授就任。東京高等師範学校講師嘱託。東京美術学校教官(建築装飾史・用器画法担当)。
- 1901年(明治34年)文部省より命ぜられ図案学研究のためヨーロッパ留学。ロンドンのカムデン美術学校で学んだ後、ヨーロッパ各地を巡る。(1903年まで)
- 1903年(明治36年)帰国、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授
- 1904年(明治37年)京都府技師を兼任。平等院鳳凰堂・鹿苑寺金閣の保存に携わる
- 1908年(明治41年)大蔵省臨時建築部技師を兼任。議院建築のため欧米視察
- 1912年(明治45年)パナマ太平洋万国博覧会事務取扱嘱託
- 1915年(大正4年)工学博士[6]
- 1916年(大正5年)法隆寺壁画保存法調査委員嘱託
- 1918年(大正7年)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)校長
- 1920年(大正9年)京都帝国大学建築学科教授(1932年まで)
- 1925年(大正14年)大蔵省営繕管財局技師兼任
- 1929年(昭和4年)より2年間、営繕課長事務取扱として学内建築物造営に関与
- 1934年(昭和9年)法隆寺国宝保存工事事務所長
- 1938年(昭和13年)逝去、享年67
Remove ads
親族
- 父親の武田直行は、東京西片(現・東京都文京区西片)にあった備後福山藩主・阿部家の中屋敷で生まれ、明治維新後福山藩権大参事公議人を経て兵庫県警部として神戸へ赴任、神戸・姫路裁判所、岐阜始審裁判所、高知始審裁判所で検事を、広島始審裁判所、三次区裁判所で判事等を務めたのち司法省を退官、1912年(明治 45年)に73歳で没した[7][8]。妻・八重との間に二男七女をもうけ、5番目に生まれた長男に、五大州で一番の人間になってほしいという願いも込めて五一と名づけた[8]。
- 先妻は阪田貞一の長女やす[7]。のちに後妻・琴を迎える[9]。
- 長男・武田直秀は機械工学を専攻し、北海道大学教授ののち北海道科学大学初代学長を務めた[8][10]。その妻・武子は大阪市長關一の次女[9]。次男・武田英吉は土木工学専攻で神戸高等商業学校(現、神戸大学)教授に、三男の飯田猛夫は建築技師となった[8]。
- 義弟(妻やすの妹の夫)に鈴木重禮(農学博士・東北帝国大学農科大学教授)と建築家の咲壽栄一がおり、その親戚筋に早川種三がいる。
栄典
主な作品
要約
視点




村松貞次郎(著)『日本建築家山脈』(鹿島出版会;1965年、復刻版は2005年)には、武田は生涯166件の作品・デザインを遺したとしており、その内訳を住宅36件、公館・会館15件、銀行・商社30件、その他社寺11件、博覧会場・公園10件、記念碑16件、橋梁20件、都市計画的なもの19件、共同浴場2件としている。
Remove ads
テレビ番組
- ごちそうさん(連続テレビ小説) - 武田五一をモデルにした建築学者・竹元勇蔵が登場する[12][13]。
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads