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武相卯歳観音霊場
武州と相州にまたがる地域の48ヶ寺を巡る観音霊場 ウィキペディアから
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武相卯歳観音霊場(ぶそううどしかんのんれいじょう)は、武州と相州にまたがる地域の48ヶ寺を巡る観音霊場である。12年に一度の卯年に開扉される[1][2]。

歴史
第1回の開扉は1759年(宝暦9年)に実施された[1]。当初は33ヶ寺だったが次第に札所の数を増やした[3]。
八王子の石川家に伝わる『石川日記』には、1771年(明和8年辛卯)に「武相三十三所惣開帳」、1783年(天明3年癸卯)に「武相観音開帳」、1807年(文化4年丁卯)に「武相三拾三所惣開帳」の記載があり、江戸時代から卯年に開扉されていたことが分かる[4]。
36番札所の圓通庵には「天保十四癸卯年」の紀年銘のある「武相三十六番普陀所」碑が残り、1843年(天保14年)には札所の数が33より多くなっていたことを示している[5]。39番札所の宗保院は、1867年(慶応3年)の第10回開扉において札所に加わった[6]。
戦後に武相観世音札所連合会ができると、開扉の度に新しい札所が加わるようになり、1975年(昭和50年)の第19回では49ヶ寺となった[7]。
1987年(昭和62年)[注 1]の第20回には50ヶ寺[注 2]だった[8]。
1999年(平成11年)の第21回では48ヶ寺となり、札所連合会が3日間の日程でバスによる巡礼を実施し、1,500人ほどの参加者があった[1]。札所の番号にも変更があり、1963年(昭和38年)に49番札所となった泉龍寺と50番札所になった高乗寺[注 3]は、それぞれ17番と18番になった[9]。
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札所一覧
旧札所
- 八王子市の直入院は、1987年の第20回開扉までは17番・18番の札所であった。直入院は蓮生院と帰西庵を合併しており、このうち蓮生院の千手観音が18番の札所とされていた[10]。
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ギャラリー
- 1番 観音寺
- 3番 松岳院
- 4番 観性寺
- 5番 養運寺
- 6番 千手院
- 7番 観音寺
- 8番 真照寺
- 9番 松連寺(百草観音堂)
- 12番 保井寺
- 13番 玉泉寺
- 14番 永泉寺
- 15番 福伝寺
- 16番 金剛院
- 17番 泉龍寺
- 18番 高乗寺
- 19番 福昌寺
- 22番 真覚寺
- 24番 祐照庵(大戸観音堂)
- 25番 普門寺
- 26番 長徳寺
- 28番・29番 福生寺
- 31番 観心寺
- 32番 清水寺
- 33番 覺圓坊
- 38番 慈眼寺
- 39番 宗保院
- 41番 永林寺
- 42番 慈眼寺
- 43番 信松院
- 44番 宗印寺
- 46番 吉祥院
- 47番 定方寺
- 48番 龍像寺
札所碑
- 1番 観音寺の「武相卯歳観音札所第一番」碑
- 9番 松連寺(百草観音堂)の「武相九番百草観音札所」碑
- 11番 大泉寺の「武相十一番普陀所」碑 1807年(文化4年)造立[11]
- 13番 玉泉寺の「武相十三番聖観世音札所」碑
- 26番 長徳寺の「武相観音廿六番札所」碑
- 30番 高巌寺の「武相札所第三十番 正観世音菩薩拝礼所」碑 1867年(慶応3年)造立[12]
- 31番 観心寺の「武相三十一番札所 正観世音菩薩」碑 1939年(昭和14年)造立[13]
- 33番 覺圓坊の「武相三十三番観世音霊場」碑
- 36番 圓通庵の「武相三十六番普陀所」碑 1843年(天保14年)造立[14]
- 37番 祥雲寺の「武相三十七番 身代聖観世音」碑 1915年(大正4年)造立[5]
- 40番 永昌院の「武相第四十番札所十一面観世音菩薩」碑
- 42番 慈眼寺の「第四十二番武相観世音札所」碑
- 45番 観泉寺の「卯歳武相観音第四十五番札所」碑
脚注
参考文献
外部リンク
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