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豊田車両センター
東京都日野市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地 ウィキペディアから
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豊田車両センター(とよだしゃりょうセンター)は、東京都日野市東平山3丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社首都圏本部の管轄。下部組織として小金井市に武蔵小金井派出所(旧・武蔵小金井電車区)および立川市に立川派出所を持つ。
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設備
本所
当車両基地は、中央本線(中央線快速)豊田駅西方に位置し、同駅を介して出入庫が行われる。中央緩行線の中野 - 三鷹間複々線延伸に伴う車両数の増大に対応して、新設した車両基地である[2]。当車両基地の用地は、太平洋戦争中に国鉄が大井工場(現・東京総合車両センター)を疎開移転するために買収したが[2]、実際には工場の移転は行われず、野球場、寄宿舎などとして使用していた場所である[3][2]。
武蔵小金井派出所
中央快速線の輸送力増強に伴い、従来から使用してきた中野電車区・三鷹電車区(当時)だけでは収容力が不足することから[2]、1955年(昭和30年)4月に三鷹電車区武蔵小金井派出として発足した[2]。1957年(昭和32年)5月には電車区としての整備に着手し、1959年(昭和34年)9月1日に武蔵小金井電車区として発足した[2]。
2004年(平成16年)3月に配置車両は豊田電車区に転属し、以降は車両無配置となった[2]。武蔵小金井駅西側に所在し、同駅を介して出入庫を行う。
- 敷地面積:45,623 m2[1]
- 収容車両数:約200両
立川派出所
首都圏の各車両センターが配置している派出検査所の一つで立川駅に常駐している。主に同駅発着列車に対して、軽微な修繕や状態確認、近隣での人身事故時の車両確認等を行う。
同派出所は豊田車両センターの出先機関であるため、同センター所属の社員が業務を担当している。
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歴史

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
- 1962年(昭和37年) - 電車区の建設工事に着手[2]。
- 1963年(昭和38年)11月24日 - 40両収容の豊田駅電留線として使用開始[2]。
- 1965年(昭和40年)10月1日 - 260両収容の武蔵小金井電車区豊田派出となる[2]。
- 1966年(昭和41年)11月10日 - 460両収容の豊田電車区が発足[2]。
- 1969年(昭和44年)3月1日 - 東京鉄道管理局が分割されて東京西鉄道管理局が設置される。略号は「西トタ」。
- 1971年(昭和46年) 2月1日 - 青梅電車区の検修業務廃止に伴い、青梅線用車両が移管[2]。
- 1974年(昭和49年)12月ごろ - 橋本派出所が暫定完成。当時は4線しかなく、そのうちの1線は非電化だった。
- 1975年(昭和50年)3月10日 - ダイヤ改正とともに橋本派出所を正式に使用開始。
- 1979年(昭和54年)にかけて橋本派出所は徐々に線増され、11線となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴いJR東日本が継承。管轄が東京西鉄道管理局から東京圏運行本部→東京地域本社に継承。略号は「東トタ」。
- 1996年(平成8年)12月1日 - 横浜支社の発足に伴い、相模線の車両を国府津電車区(現・国府津車両センター)に、橋本派出所を大船電車区(現・鎌倉車両センター)に移管。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 八王子支社発足に伴い同支社に移管。略号は「八トタ」。
- 2004年(平成16年)3月13日 - 武蔵野線の車両を京葉車両センターに移管。同時に武蔵小金井電車区所属の中央線快速用車両の移管を受け、中央線快速で唯一の車両基地となる。
- 2007年(平成19年)11月25日 - 豊田車両センターへ改称。運転士は豊田運輸区へ移管。併せて武蔵小金井電車区を豊田車両センター武蔵小金井派出所へ改称。
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配置車両に記される略号
「都トタ」…東日本旅客鉄道首都圏本部を意味する「都」と、豊田を意味する「トタ」から構成される。武蔵小金井電車区は「西ムコ」→「東ムコ」→「八ムコ」であった。
豊田車両センターは過去に八王子支社の時代が有り、その際には八トタとされていた。
国鉄時代は「東トタ」 または東京三局時代の「西トタ」であった。
配置車両
要約
視点
中央線快速・青梅線・五日市線用の通勤形電車が配置されている。
2025年6月28日現在の配置車両は以下の通り。
E233系電車(814両)
- T編成43本(T1 - T42・T71編成)、H編成17本(H43 - H59編成)、青梅・五日市線用の4両編成8本(青460 - 青467編成)および6両編成10本(青660 - 青669編成)が配置されている。
- 中央線(東京-大月間)・青梅線・五日市線の各駅停車・快速・中央特快・青梅特快・通勤快速・通勤特快で運用されているほか、中央線の直通列車として富士急行線でも使用される。
- 201系の置き換え用として、2006年12月から2008年3月にかけて中央線快速用の10両編成(T編成)42本、6両+4両の分割可能編成(H編成)15本、青梅・五日市線用の4両編成10本および6両編成13本を導入した。4両編成と6両編成を連結する場合は6両編成が東京方に連結される。
- 同年3月15日のダイヤ改正に伴い同年4月1日付けで青658編成・青458編成がH58編成に編入。また青梅線運用削減による余剰が出たため2015年5月2日付けで青659編成・青459編成がH59編成に編入。
- 2006年12月26日より中央線快速で運用を開始し、その後、2007年3月18日のダイヤ改正で青梅線青梅以西と五日市線・八高線・富士急行線でも運用を開始した。
- 2017年2月に青670編成が原番号+8500(クハE232-528のみ+8000)の上、中原電車区へ転属している。
- 2020年6月12日付でT71編成が増備された。
- 2022年3月12日改正で八高線での運用が、2023年3月18日改正でH編成の青梅線青梅以西・五日市線での運用が終了した。
201系電車(1両)
- 1両(クハ201-1)が保留車として配置されている。
- 長らく塗装が剥げた状態であったが、2014年11月8日の「豊田車両センターまつり2014」開催時にお色直しされた。
- 2015年と2016年の「豊田車両センターまつり」でも公開された。
- また、2021年12月18日には発売型の撮影会が行われた[4]。2022年7月24日にも会員限定販売型の撮影会が行われた[5]。
- E233系0番台12両編成
- E233系0番台10両編成
- E233系0番台H編成
- E233系0番台青編成
- クハ201-1
過去の配置車両
旧豊田電車区・豊田車両センター
- 101系(1985年3月14日国鉄ダイヤ改正で撤退)
- 103系(1983年3月までに営業運転から撤退)
- 201系(クハ201-1を除く)
- 10両貫通編成および、6+4両分割編成は、中央線快速(東京 - 大月間)・青梅線・五日市線・八高線(拝島 - 高麗川間)・富士急行線の各駅停車・快速・中央特快・青梅特快・通勤快速・通勤特快で運用されていた。
- 2006年12月よりE233系の導入が行われるに伴い直前の9月にT6編成が廃車となったのを皮切りに置き換えが進行、なお一部のT編成は編成番号が重複することから、編成番号は現番号に100を加算したものに改番されたが、当該編成は2008年1月までに全廃された。また、E233系の導入完了後は五日市線での定期運用はない。
- 2007年3月18日のダイヤ改正で中央線快速の分割編成の組成を青梅線・五日市線専用運用の10両編成の組成に揃え、東京方を4両編成から6両編成に改めた。その際、分割可能なH編成のうち7編成のみを組み替え、残りのH編成はT編成に改番後、同年末までに全廃した。
- なお、豊田電車区時代から配置されていた編成は、1995年から黄緑地白文字の編成札が装着されていた(かつての武蔵小金井電車区配置編成は白地赤文字)。
- 2010年10月14日の1915T運用をもって定期運用を離脱、10月17日に最後まで残存したH7編成による『さよなら中央線201系(H7編成)ラストラン山梨 そして信州へ』が豊田〜松本間で運行され全ての運用が終了した[6]。
- 引退後はクハ201-1の1両を除き全車が解体されている。
- 201系四季彩
- 豊田車両センターに配置されていた訓練車4両編成1本を展望型に改造しW1編成として2001年8月4日より運用を開始した。2005年には新塗装へ変更。2009年6月28日に定期運用を終了、その後7月4日〜7月20日にかけてさよなら運転を行った後、7月23日に長野総合車両センターへ回送され、廃車となった。
- 209系
- 1000番台の10両編成2本(編成番号81、82)が配置されていた。
- 基本的に中央線で使用される(東京 - 高尾・宮ノ平間限定。理論上は高尾 - 大月間・青梅線立川 - 宮ノ平間にも乗り入れできるが、半自動ドアを持たないため通常時は乗り入れなかった)。
- 当区の中央快速線用E233系(10両編成)へ2階建てグリーン車組込みと普通車へのトイレ取り付けが行うのに伴い、改造工事期間中の車両不足を補うために松戸車両センターで余剰となっていた常磐緩行線用の209系1000番台が当区へ転属した。
- 転属に際しての改造は大宮総合車両センターで行われたが、編成番号は松戸車両センター時代と同じく81編成及び82編成となっている。
- 2024年9月6日をもって運用を離脱し、長野総合車両センターへ配給の後81、82編成共に2025年4月7日付で全車廃車となり、配置が無くなった[7]。
武蔵野線(1973年(昭和48年)4月1日の武蔵野線開業に伴い、配置[2]。101系を除き、103系と205系は2004年3月13日のダイヤ改正で、京葉電車区〈現・京葉車両センター〉に移管)
- 101系1000番台(1986年11月1日国鉄ダイヤ改正で撤退)
- 103系(転出直前は、8両編成×27本216両が所属[8])
- 205系(先頭前面デザインが京葉線用と同タイプの8両編成×5本[注 1]と[9]、武蔵野線用103系の置き換えの為、武蔵野線用に8両編成化と5000番台化の転用改造を施工した8両編成×8本64両[注 2]計13本104両が転出前まで所属していた[10])
相模線(1991年3月16日の相模線電化開業に伴い、配置[2]。1996年12月1日の横浜支社発足に伴い、国府津電車区〈現・国府津車両センター〉に移管[2])
- 115系
- 2014年時点で3両編成12本(M1 - 12編成)、6両編成1本(M40編成)、訓練車の4両編成1本の計46両が配置されていた。塗装はいずれも「スカ色」。
- 2014年の1月及び7月に6両編成と訓練車編成が相次いで廃車となり[11]、残った3両編成も同年12月に長野総合車両センターの211系に運用が移管され[12]、2015年1月までに順次廃車となった。
- 189系(M50編成)
- 松本運転所から転入した6両編成のM50編成が配置されていた。
- 2001年にE257系が投入されるまでは特急「あずさ」・「かいじ」で使用されていた車両で、塗装は旧「あずさ色」。
- 主に団体・臨時列車で運用されており、週末には新宿 - 河口湖間の「ホリデー快速富士山1・2号」でも運用された。
- その他、運転日は少ないものの、新宿 - 河口湖間で上記の増発便となる「山梨富士3・4号」[注 3]・「富士山号」、塩山 - 長野間を中央本線・篠ノ井線・信越本線経由で結ぶ「甲信エクスプレス」で運用された。
- 2016年11月13日からは青梅 - 小田原間で、「ホリデー快速湘南号」として運行されている。
- 後述のM51・M52編成と合わせ使用されていたが、このM50編成は2018年1月25日に長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた臨時団体列車が最後の運用となり[13]、翌1月26日に廃車となった[14]。
- 189系(M51・52編成)
- 2018年4月1日現在で6両編成(M51・52編成)2本が配置されていた。
- 前述のM50編成と同様に、団体・臨時列車で使用された。
- 2013年度に大宮総合車両センターから6両編成2本が転入し、それぞれM51・M52編成となった。塗装はM51編成は旧国鉄特急色、M52編成は2014年12月からグレードアップあずさ塗装となっていた。
- M52編成は2018年4月22日の豊田 - 甲府間往復のツアーをもって、M51編成は4月27日の豊田発長野行をもって、それぞれ運用を終了、長野総合車両センターへ回送された[15]。
- M52編成は2018年4月27日に、M51編成は翌4月28日に廃車となり、当センターから189系の配置が無くなった。
- 101系
- 201系
- 201系 四季彩
- 201系(左)・103系訓練車(中央)
- 209系1000番台
- 115系300番台
- 115系0番台 訓練車
- 189系M50編成
- 189系M51編成
- 189系M52編成
旧武蔵小金井電車区
- 中央線快速
- 101系
- 201系
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他所属車の留置
脚注
参考文献
関連項目
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