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殿田孝次

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殿田 孝次(とのだ こうじ、1904年2月27日[1] - 1949年8月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。

人物

石川県金沢市出身。1927年早稲田大学法律科卒業[2]。アメリカのセントローレンス大学に留学し、政治学を学んだ。その後、帝国通信社政治部記者となり、渡米[2]。帰国後は読売新聞政治部記者として、国際外交評論家となる[2]。その後、中国に渡り、日本大使館上海事務所、中国銀行交通銀行、物資統制審議委員会上海事務所、全国経済委員会顧問室各嘱託となる[2]。帰国後は広瀬豊作大蔵大臣秘書官(大蔵省嘱託)[2]国民政府行政院顧問、外務省嘱託などを歴任した[3]

1942年翼賛選挙に郷里の石川1区から無所属(非推薦)で出馬し、落選[4]。戦後の1946年の総選挙で立候補し、当選[5]。翌年の総選挙は不出馬。同年、公職追放となる[6]。間もなく追放解除となり、1949年の総選挙民主自由党から立候補したが、落選した[7]。同年8月10日、金沢市里見町の自宅物置で首つり自殺を図り、死去した[8][9]

このほか戦災復興院嘱託[2]、民主自由党金沢支部長などを務めた。

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選挙歴

著書

  • 『新支那読本』(高山書院、1940年)

脚注

参考文献

関連項目

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