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水内猛
日本のサッカー選手 (1972-) ウィキペディアから
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水内 猛(みずうち たけし、1972年11月19日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロサッカー選手、スポーツキャスター。現役時代のポジションはフォワード。
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選手経歴
小学生の時はサッカーと野球をやっていた。横浜市立汲沢中学校、神奈川県立旭高等学校3年次に高校選手権に出場し、ベスト8進出。2回戦では強豪の清水東高校を破る決勝点を決める活躍を見せ、大会優秀選手に選出された。
卒業後の1991年に三菱自動車工業へ入社。1992年からは社員選手として浦和レッドダイヤモンズに入団。Jリーグ開幕後の1993年は柱谷幸一や福田正博といった主力選手の負傷などもあって、NICOSシリーズ(2ndステージ)からレギュラーに定着し、7点を挙げ、93年のチーム得点王となる。1994年からはプロ契約に移行する。
後に、旧JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)へ移籍。1996年は活躍したが、1997年に現役を引退。スペイン移籍は叶わなかった。
引退後
現役引退後はホリプロに所属し、『REDS TV GGR』のキャスターを務める等、スポーツ番組を中心にテレビ出演を行っている。
TBSの改編期特番『オールスター感謝祭』では、毎回赤坂5丁目ミニマラソンで上位争いをしており(10位以下着外は現段階で1回だけ)、2003年春には優勝している。また、クイズのほうでも2012年秋に優勝しており、クイズ・マラソン両方の優勝経験がある数少ない1人である。しかし、この2012年秋を最後に以後は出演していない(2013年よりレギュラー出演している『すくすく子育て』(NHK Eテレ)が裏番組になるため)。
2005年4月14日、TBSアナウンサーの小倉弘子と結婚[1]。2006年1月7日、結婚式を挙げる[2]。2008年3月8日午前0時13分、第1子となる女児が誕生。2011年12月29日に自身のブログにて弘子夫人が「(発信時点で)妊娠4ヶ月であり、2012年6月下旬にも第2子出産予定」である事を報告した。同年5月22日午前8時40分、第2子となる次女が誕生。2017年11月1日、自身のブログを更新し「我が家のお話ですが…第三子を授かりました」と報告。「今日、TBSラジオの生放送で奥様からもご報告があったかと思いますので、このタイミングで 予定日は来年の1月下旬頃かと」と明かした[3]。2018年1月17日、第3子男児の出産を報告[4]。
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人物
利き足は右だが、足以外は左利きである。
家族
エピソード
本人曰く、「(現役時代は)ドリブルはほとんどしたことがなく、ワンタッチゴールが多かった」とのことで、「福田さんに『お前が一生でドリブルした距離より永井雄一郎が1試合でドリブルする距離の方が長い』と言われたことがある」という[5]。
スポーツマンNo.1決定戦
- プロ引退後にスポーツマンNo.1決定戦の第7回芸能人サバイバルバトルに参戦。BEACH FLAGS 3回戦進出、QUICK MUSCLE 4位、そしてTAIL IMPOSSIBLEでは元プロサッカー選手の意地を見せ、種目別No.1を獲得し、最終的に総合3位入賞を果たす。
- 第10回大会に久々の参戦となり、前回No.1だったTAIL IMPOSSIBLEでは飯沼誠司、なかやまきんに君、永井大の猛攻によって第3レースの4位で脱落となるも、MONSTER BOXで自己記録を3段更新して16段、QUICK MUSCLE 2位に入り、最終的に総合4位入賞を果たす。
- 最後の出場となった第12回大会ではMONSTER BOXで、またも自己記録を更新する17段、BEACH FLAGS 3回戦進出となるも、BURN OUT GUYSでは雲梯から落下し、失格が大きく響き、総合10位と初めて脱落の憂き目にあった。
- 芸能人サバイバルバトル
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個人成績
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 1試合0得点
引退後の出演番組
テレビ番組
テレビドラマ
- 水曜ミステリー9「銀座高級クラブママ青山みゆき(3)赤いバラの殺人予告」(2008年、テレビ東京) 片山直人刑事役
ラジオ
- スポーツキャッチ!(JFN系)
- toto~calcio da J LEAGUE(TOKYO FM)
- ニッポン放送、BS-i、FM NACK5などテレビ・ラジオのJリーグ中継解説
- サンデースポーツパラダイス~てっぺん!~(ゲストコメンテーター、文化放送)
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脚注
関連項目
外部リンク
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