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江崎照雄

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江崎 照雄(えさき てるお、1934年7月21日 - 2016年2月19日[1])は、愛知県[2]岡崎市出身のプロ野球選手投手)・コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

中京商では2年次の1951年、エースとして春の選抜に出場。1回戦で長良高を完封するが、準々決勝(2回戦)で長崎西高に敗退[2]。チームメイトに遊撃手の鹿野鉱一(阪神)がいた。高校卒業後は1953年日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中に5度の優勝を経験。3年次の1955年には全日本大学野球選手権大会で決勝に進出するが、明大秋山登に完封され準優勝。4年次の1956年の同大会でも、同じく決勝で関大村山実に抑えられ準優勝に終わったが、同年秋季では最優秀投手に選出される。大学同期にエース島津四郎人見武雄、畠中良雄(阪急)がいた。

大学卒業後の1957年毎日オリオンズへ入団[2]。1年目の同年は新人ながら3勝を挙げるが、その後は低迷し、1959年オフに近鉄バファローへ移籍[2]。スライダーとカーブを武器に、1960年には48試合に登板し、自己最多となる6勝を挙げる。1962年オフには中日ドラゴンズへ移籍するが、を痛めて1963年限りで現役を引退[2]

引退後はスコアラーとなり、1985年には二軍総合投手コーチを務めた[2]

2016年2月19日に誤嚥性肺炎のため死去[1]

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詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 毎日(毎日オリオンズ)は、1958年に大毎(毎日大映オリオンズ)に球団名を変更

背番号

  • 15 (1957年 - 1959年)
  • 11 (1960年 - 1962年)
  • 38 (1963年)
  • 78 (1985年)
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関連項目

脚注

外部リンク

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