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江迎町

日本の長崎県北松浦郡にあった町 ウィキペディアから

江迎町map
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江迎町(えむかえちょう)は、長崎県の北部にあった北松浦郡に属した。2010年(平成22年)3月31日鹿町町とともに佐世保市へ編入合併し、自治体としては消滅した。

概要 えむかえちょう 江迎町, 廃止日 ...

ここでは、現在の佐世保市の一地域としての江迎(えむかえ)についても記述する。

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地理

長崎県本土地域の最北部、北松浦半島中北部を町域とし、佐世保市の中心市街地から北西へ約20kmの場所に位置する。町域は江迎川が東から西へ横断し、北西部は半島に切り込んだ江迎湾に接する。北部・南部は丘陵地が広がる。

隣接市町村

2010年(平成22年)3月時点[1]

地域

概要 江迎 えむかえ, 国 ...

地名

江迎町では「長坂」「猪調」の大字が設置されていたが、1957年(昭和32年)に大字の表示を廃止した。
2010年(平成22年)佐世保市編入時に地名末尾の「」の文字、及び小字を廃し、旧来の免の名称に「江迎町」を冠した町名に変更された[2]
(表記例:北松浦郡江迎町大字長坂長坂免→北松浦郡江迎町長坂免→佐世保市江迎町長坂)

さらに見る 町名設置前(北松浦郡江迎町), 読み ...
  1. 1955年(昭和30年)、北松浦郡田平町(現・平戸市)より編入。田平町発足以前の自治体である旧南田平村時代は「下寺」の大字を冠称していたが、江迎町編入時にこの大字は採用されなかった。このため1957年の大字廃止まで町内で唯一大字なしの区域だった。
  2. 1959年(昭和34年)、埋立地造成により成立。
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歴史

近世以前

江迎は古くから交通の要衝であり、江戸時代には平戸藩が利用する平戸往還本陣が置かれた。

近現代

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の村が成立。
    • 長坂村・猪調村が合併して北松浦郡江迎村が成立。
    • 同時に下寺村・小手田村が合併して北松浦郡南田平村が成立。
  • 1940年昭和15年)4月1日 - 江迎村が町制施行, 江迎町となる。
  • 1949年(昭和24年)5月24日 - 昭和天皇が潜龍炭鉱に行幸(昭和天皇の戦後巡幸[3]
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 南田平村が田平村と合併し田平町(現平戸市)となる。
  • 1955年(昭和33年)4月15日 - 旧南田平村大字下寺の一部、末橘免を田平町より江迎町へ編入。
  • 2010年平成22年)3月31日 - 鹿町町とともに佐世保市へ編入合併し自治体として消滅。
    • 江迎町役場は「佐世保市役所江迎行政センター」となる。
  • 2012年(平成24年)8月1日 - 佐世保市役所江迎行政センターが「佐世保市役所江迎支所」に改称。

行政

町長

公選による町長

  • 小林知一(1947年4月7日 - 1961年9月21日)
  • 馬場鉄治(1961年10月29日 - 1973年10月28日)
  • 森澤賢司(1973年10月29日 - 1989年10月28日)
  • 亀山春光(1989年10月29日 - 1997年10月28日)
  • 松田弘明(1997年10月29日 - 2005年10月28日)
  • 亀山春光(2005年10月29日 - 2010年3月30日)再任

警察

産業

北松浦半島では半島内の各地域で石炭を産出し、北松炭田として栄えた。そのためかつては町内にも数ヶ所の炭鉱があったが、1960年代にすべて閉山し、現在は農業が中心である。 また、町おこしの一環として、「誰にでも手軽に始められる縮緬細工の『えむかえ繭玉』」をスローガンに、町民の団体「花手まり」が結成され、繭玉をアレンジした「手毬きめ込み人形」を全国に先駆けて手作り生産をしている。

医療

教育

中学校

小学校

交通

鉄道路線

バス路線

道路

一般国道

県道

主要地方道

その他の県道

その他の道路

郵便

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所

祭事・催事

  • 肥前江迎繭玉まつり(3月上旬 - 4月上旬)
  • 千灯籠まつり(8月23・24日)

江迎町出身の有名人

脚注

関連項目

外部リンク

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