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松浦鉄道西九州線
松浦鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
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西九州線(にしきゅうしゅうせん)は、佐賀県西松浦郡有田町の有田駅から伊万里駅、たびら平戸口駅を経て、長崎県佐世保市の佐世保駅に至る松浦鉄道の鉄道路線である。
旧国鉄の特定地方交通線であった九州旅客鉄道(JR九州)松浦線(まつうらせん)を1988年(昭和63年)に第三セクター鉄道に転換して開業した[1]。
北松浦半島を回る形で沿線市町を結んでいる。路線の半分は国道204号と並行して走っており、車窓から道路を見ることができる。また、佐世保中央駅と中佐世保駅間の距離は200 mで、鉄道線としては筑豊電気鉄道線黒崎駅前駅 - 西黒崎駅間と並んで日本で一番短い。
佐世保市吉井町の福井川に架かる福井川橋梁は竹筋コンクリートで建設された可能性がある(項目参照)。2006年(平成18年)9月、文化審議会の答申により福井川橋梁を含む潜竜ヶ滝駅 - 吉井駅間のコンクリート橋梁3本が国の登録有形文化財になることが決まった。

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路線データ
歴史
要約
視点
西九州線(松浦線)は、吉井駅以北から東側を伊万里鉄道を始まりとする伊万里線、以南を佐世保軽便鉄道を始まりとする松浦線として建設された。
伊万里鉄道 - 伊万里線
陶磁器運搬のため、伊万里鉄道により有田駅 - 伊万里駅間が1898年(明治31年)に開業した。同年中に九州鉄道に合併された後、国有化。伊万里線として順次延伸され、1944年(昭和19年)に肥前吉井駅(現:吉井駅)まで開業し、松浦線と繋がった[4]。
- 1898年(明治31年)
- 1907年(明治40年)7月1日:鉄道国有法により九州鉄道が買収・国有化され官設鉄道となる
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定にともない、有田駅 - 伊万里駅間を伊万里線とする
- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)6月25日:今福駅 - 志佐駅(現:松浦駅)間が延伸開業、調川駅、志佐駅が開業。
- 1935年(昭和10年)8月6日:志佐駅 - 平戸口駅(現:たびら平戸口駅)間が延伸開業、肥前御厨駅、田平駅、平戸口が開業。
- 1939年(昭和14年)1月25日:平戸口駅 - 潜竜駅(現:潜竜ヶ滝駅)間が延伸開業、江迎駅、潜竜駅が開業。
- 1944年(昭和19年)4月13日:潜竜駅 - 肥前吉井駅(現:吉井)間が延伸開業。
佐世保軽便鉄道 - 松浦線
石炭の運搬のため、佐世保軽便鉄道が軌間762 mmの軽便鉄道として相浦駅 - 大野駅(現:左石駅) - 柚木駅間を1920年(大正9年)に開業した。のちに佐世保鉄道と名を変え、岡本彦馬専用鉄道の買収などにより、上佐世保駅 - 左石駅 - 実盛谷駅 - 四ツ指駅(のちの四ツ井樋駅) - 吉井駅 - 世知原駅間、左石駅 - 柚木駅間、相ノ浦駅 - 実盛谷駅間、四ツ指駅 - 臼ノ浦駅間の各線を1933年(昭和8年)までに開通させて国有化された[4]。
- 1920年(大正9年)3月27日:佐世保軽便鉄道が相浦駅 - 大野駅(現:左石駅) - 柚木駅間が開業、大野駅、皆瀬駅、中里駅、山口停留場、相浦駅が開業。
- 1921年(大正10年)10月7日:上佐世保駅 - 大野駅間が延伸開業、上佐世保駅、山ノ田停留場、泉福寺停留場(初代)が開業。
- 1922年(大正11年)6月1日:山口停留場を上相浦停留場に改称。
- 1923年(大正12年)12月26日:佐世保軽便鉄道が佐世保鉄道に社名変更。
- 1929年(昭和4年)4月20日:大野駅を左石駅に改称。
- 1931年(昭和6年)
- 1933年(昭和8年)10月24日:佐々駅 - 吉井駅 - 世知原駅間が延伸開業(岡本彦馬専用鉄道を買収。当初の世知原線区間は貨物営業のみ)吉井駅、世知原駅(貨物駅)が開業。
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)2月4日:猪立山信号所を猪立山駅(貨物駅)に変更。
- 1936年(昭和11年)10月1日:佐世保鉄道全線を買収し国有化、上佐世保駅 - 世知原駅間、左石駅 - 柚木駅間、実盛谷駅 - 相浦駅間、四ツ井樋駅 - 臼ノ浦駅間を松浦線とする。中里駅を肥前中里駅に、四ツ指駅を四ツ井樋駅に、神田駅を肥前神田駅にそれぞれ改称、猪立山駅を再び猪立山信号場に変更。
改軌と線路改良
松浦線国有化後は、他線に直通可能なように762 mmから1067 mm軌間への改軌が実施された。同時に佐世保線との接続、相浦付近の経路変更、臼ノ浦支線の分岐駅変更などの改良が行われている[4]。
- 1935年(昭和10年)11月9日:佐世保線の佐世保駅 - 北佐世保駅間が延伸開業、北佐世保駅が開業。
- 1943年(昭和18年)8月30日:上佐世保 - 左石間を廃止、上佐世保駅、山ノ田駅、泉福寺駅(初代)及び、実盛谷駅 - 相浦駅間を廃止。北佐世保駅 - 左石駅間、肥前中里駅 - 相浦駅間を改軌し新線開業。左石駅 - 柚木駅間、左石駅 - 肥前中里駅間を改軌。佐世保線の佐世保駅 - 北佐世保駅間を編入。
- 1944年(昭和19年)4月13日:佐々駅 - 肥前神田駅(現:神田駅) - 肥前吉井駅間、肥前吉井駅 - 世知原駅間、佐々駅 - 臼ノ浦駅間を改軌。臼ノ浦方面への分岐を四ツ井樋駅から佐々駅に変更、猪立山信号場を廃止。
- 1945年(昭和20年)3月1日:肥前中里駅 - 実盛谷駅 - 小浦駅 - 四ツ井樋駅 - 佐々駅間の旧線及び、実盛谷駅、真申(初代)駅、小浦(初代)駅、四ツ井樋駅を廃止。相浦駅 - 小浦駅 - 佐々駅間の新線を開業、小浦駅(2代)、真申駅(2代)が開業。肥前吉井駅 - 世知原駅間を世知原線、佐々駅 - 臼ノ浦駅間を臼ノ浦線、左石駅 - 柚木駅間を柚木線として分離し、松浦線は有田駅 - 伊万里駅 - 佐世保駅間とする。
戦後 - 民営化前
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)7月15日:中佐世保駅が開業。
- 1962年(昭和37年)8月1日:当線を経由する初の優等列車である準急「九十九島」が運行開始。
- 1968年(昭和43年)10月1日:急行「九十九島」(1966年に準急から格上げ)を「平戸」に改称。
- 1971年(昭和46年)10月1日:旅客列車をすべて気動車化、混合列車廃止。
- 1972年(昭和47年)3月15日:蒸気機関車8620形とC11形をディーゼル機関車DE10形に置き換え、蒸気機関車の運行終了。
- 1982年(昭和57年)11月15日:伊万里駅 - 佐世保駅間の貨物営業を廃止[5]。
- 1984年(昭和59年)6月22日:第2次特定地方交通線として廃止承認。
- 1986年(昭和61年)11月1日:有田駅 - 伊万里駅間の貨物営業を廃止。
- 1987年(昭和62年)3月:第三セクター鉄道への転換が決定。
九州旅客鉄道 - 松浦鉄道
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)4月1日:松浦鉄道西九州線として転換、肥前御厨駅を御厨駅に、江迎駅を江迎鹿町駅に、潜竜駅を潜竜ヶ滝駅に、肥前吉井駅を吉井駅に、肥前神田駅を神田駅に、肥前中里駅を中里駅にそれぞれ改称[1]。急行「平戸」を廃止。
- 1989年(平成元年)3月11日:三代橋駅、川東駅、松浦発電所前駅、西田平駅、高岩駅、棚方駅、泉福寺(2代)が開業[4]、田平駅を東田平駅に、平戸口駅をたびら平戸口駅に改称。
- 1990年(平成2年)3月10日:里駅、鳴石駅、福島口駅、今福鷹島口駅、前浜駅、いのつき駅、野中駅、山の田駅、佐世保中央駅が開業[4]。
- 1991年(平成3年)3月16日:山谷駅、波瀬駅、西木場駅、中田平駅、大学前が開業[4]
- 1994年(平成6年)10月3日:本山駅が開業、今福鷹島口駅を鷹島口駅に、大学前駅を大学駅に改称[4]。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)3月22日:黒川駅が開業[4]。
- 1999年(平成11年)3月13日:すえたちばな駅が開業[4]。
- 2001年(平成13年)12月26日:佐世保駅が高架化。
- 2002年(平成14年)
- 2007年(平成19年)3月18日:上佐々駅を清峰高校前駅に改称。
- 2010年(平成22年)8月7日:臨時団体列車としてリバイバル急行「平戸」(キハ58 569+キハ65 36)が長崎駅から武雄温泉駅まで西九州線経由で運転。国鉄・JR九州の旅客車両の乗り入れは4年5カ月ぶり[7][8]。
- 2011年(平成23年)3月12日:全線でICカード「長崎スマートカード」が利用可能となる[9] 。
- 2015年(平成27年)5月11日:沿線地域活性化のために線内の9駅に愛称を付与。佐世保中央駅が「日本一長い「さるくシティ4〇3アーケード」の駅」、相浦駅が「黒島天主堂とあたごさんの駅」、佐々駅が「河津桜とシロウオの里」、西田平駅が「田平天主堂と昆虫の里」、たびら平戸口駅が「日本最西端の駅」、調川駅が「日本一のアジ・サバ水揚げ基地」、鷹島口駅が「元寇の島“鷹島”の玄関」、今福駅が「今より福の生ずる処」、山谷駅が「棚田百選「岳の棚田」の駅」[10]。
- 2020年(令和2年)3月1日:全線でICカード「nimoca」が利用可能となる[11][12]。
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運行形態
要約
視点
松浦線からの転換当初は有田駅 - 伊万里駅 - 佐世保駅( - 一部JR佐世保線早岐駅)間の全線を通して運行される列車も存在したが、1992年(平成4年)7月15日改正で伊万里駅を境に運転系統が分かれ、同駅を跨いで運行する列車はなくなった[13][14][15]。また特記ない限り単行(1両編成)の普通列車であり、後乗り前降り方式のワンマン運転が実施されている。
列車番号は、佐々駅 - 佐世保駅間が100番台、たびら平戸口駅 ( 江迎鹿町駅 ) - 佐世保駅間が200番台、伊万里駅 - 佐世保駅間が300番台、松浦駅・たびら平戸口駅発着など区間便が400番台、伊万里駅 - 松浦駅間が500番台、有田駅 - 伊万里駅間が600番台。快速列車は3桁の列車番号の頭に1がつく。
有田駅 - 伊万里駅間
朝・夕方は1時間に2 - 3本、その他の時間帯は1時間に1 - 2本程度運行されている。この区間の途中駅を始発・終着とする列車はなく、全列車が有田駅 - 伊万里駅間で運行される。
伊万里駅 - 佐世保駅間
日中は1時間あたり伊万里駅 - 佐世保駅間運転の普通列車と、佐々駅 - 佐世保駅間運転の普通列車が1本ずつ、あわせて2本運転されている。
朝夕には松浦駅・たびら平戸口駅を始発・終着とする列車や、下り1本のみ江迎鹿町駅始発の列車(佐々駅からは後述の快速運転)も設定されている。佐世保駅に近づくにつれて本数が増え、伊万里駅 - たびら平戸口駅間は大半の時間帯で1時間あたり1本だが、佐々駅 - 佐世保駅間は日中は2 - 3本、ラッシュ時には最大4本運転される。朝夕の一部列車は2両に増結され、その場合は各車両前部に乗務員が乗務し、運賃収受やドア確認を行っている。また、車両基地を併設する拠点駅である佐々駅の他に江迎鹿町駅・吉井駅においても列車の分割作業が行われ、分割した車両を折り返し営業運転させるなどして朝ラッシュの通勤通学需要に対応している。かつてはラッシュ時に最大5両編成の運用もあった。
2022年(令和4年)9月23日改正時点で佐々駅 - 佐世保駅間には3往復の快速列車が運行されている[16]。いずれも朝時間帯の運転である。停車駅は駅一覧の項を参照されたい。かつては佐世保駅からJR九州佐世保線・大村線に直通して早岐駅やハウステンボス駅まで乗り入れる列車もあったが、2020年(令和2年)3月14日のダイヤ改正で直通運転は終了した。
快速列車の運行
2002年(平成14年)3月22日まではたびら平戸口駅 - 佐世保駅間に快速列車が1往復設定されていた。このうち、たびら平戸口駅発の下り列車は、かつての準急「九十九島」(後の急行「平戸」)運転開始以来のダイヤをほぼそのまま継承しており、土休日や夏休みなどにはJR車両により大村線経由で長崎駅まで直通運転を行っていた(JR九州線内は快速「シーサイドライナー」として運転)。2000年(平成12年)3月11日ダイヤ改正時に佐世保駅高架化工事のため直通運転を休止するが、その直前の同年1月8日からはこの直通運転列車に松浦鉄道のMR-500形(レトロン号)も使用され、JRのキハ58形+キハ65形に併結していた。
このほか1990年(平成2年)3月10日改正から1991年(平成3年)3月15日までは伊万里駅 - たびら平戸口駅間に1往復の快速列車(停車駅はたびら平戸口行は久原駅・今福駅・今福鷹島口駅・松浦駅・御厨駅、伊万里行は楠久駅・鳴石駅も停車)も運行された[17][18]が、2002年(平成14年)3月23日のダイヤ改正で西九州線は普通列車のみの運行となった。
2006年(平成18年)6月1日に佐々駅→佐世保駅間に通勤快速が下り1本設定され、通過駅のある快速列車の運行が復活した。通勤快速の停車駅は小浦駅・棚方駅・上相浦駅・左石駅・佐世保中央駅であった。2007年(平成19年)3月18日のダイヤ改正で通勤快速に代わり快速が朝に下り4本・上り3本設定された。その後2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で夕方に上り1本が増発され、2019年(平成31年)3月16日のダイヤ改正で下りの一部列車が中里駅に停車するようになった。2022年(令和4年)9月23日のダイヤ改正で朝の快速のうち下り1本が普通に格下げ、夕方の上り快速が廃止されて、朝のみ3往復[16]の現行の運行体制となっている。
このほか2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正では土曜・休日のみ、佐世保駅→たびら平戸口駅間に快速が上り1本設定された。停車駅は佐々駅までは他の快速列車と同様で、佐々駅からは終点のたびら平戸口駅まで無停車だった。この快速は2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で、大村線ハウステンボス駅→たびら平戸口駅間を毎日運行する快速「平戸エクスプレス」に変更された。JR線内は各駅停車で、佐々駅→たびら平戸口駅間は吉井駅と江迎鹿町駅が停車駅に追加された。2011年(平成23年)3月12日のダイヤ改正で、JR線への直通が早岐駅までに短縮されたのに伴い廃止された。
JR線との直通運転
開業時から2000年(平成12年)3月10日までは松浦鉄道車両が佐世保線に乗り入れて早岐駅まで運転(1992年より一部はハウステンボス駅まで延長)されており、佐世保駅高架化完成後の2002年(平成14年)3月23日の乗り入れ再開[19]以降は松浦鉄道からの直通のほか、JR九州の快速「シーサイドライナー」の一部に長崎駅から長崎本線・大村線・佐世保線を経て佐々駅まで直通運転する列車もあったが、松浦鉄道の車両の老朽化で故障が増加したため、2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正をもって直通運転は休止された[20]。
その後新型車両への置き換えが進んだこともあり、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で松浦鉄道の車両がハウステンボス駅まで1往復直通する形で直通運転が開始された。このうち、ハウステンボス駅発の列車は西九州線内は前述の「平戸エクスプレス」として運行された。2011年(平成23年)3月12日のダイヤ改正で直通運転は早岐駅までに短縮され、佐々駅→早岐駅間、早岐駅→伊万里駅間に1本ずつ運行する体制となったが、2020年(令和2年)3月14日ダイヤ改正で直通運転は終了した。
なお、西九州線と佐世保線は有田駅でも接続しているが、松浦鉄道の開業以来有田駅を跨いでの直通運転は定期列車では行われたことがない。
かつての高頻度運転
1992年(平成4年)7月15日の改正で列車が大幅に増発され、昼間時、概ね12時以降の時間帯で伊万里駅 - 松浦駅間で30分間隔、佐々駅 - 佐世保駅間で20分間隔の運行が行われ[15]、利用者の増加につながった。しかし、その後の利用者減少により、2005年(平成17年)10月1日改正で伊万里駅 - 松浦駅間の区間運転列車の大多数が廃止された後[21][22]、2006年(平成18年)3月18日改正で昼間の佐々駅 - 佐世保駅間の列車が30分間隔に減便され[23]、ほぼ現在の運行体系となった。
国鉄時代
1982年(昭和57年)8月時点の時刻表では、伊万里駅 - 松浦駅間が21本、松浦駅 - 平戸口駅間が15本、平戸口駅 - 佐世保駅間が16本の運行であり、このほか急行「平戸」が1往復、肥前吉井駅 - 佐々駅間が1往復、佐世保駅 - 佐々駅間が1本運行されていた。また、博多駅、東唐津駅直通の列車も存在した[24]。
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使用車両
→「松浦鉄道 § 車両」も参照
現在の車両
気動車
過去の車両(松浦鉄道)
気動車
過去の車両(国鉄時代)
気動車
機関車
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駅一覧
- +印はJR九州からの転換時(後)に設置された新駅。*印は駅員配置駅。
- 快速…●:全列車停車、▼:下り(佐世保行き)の一部列車のみ停車、|:通過
- 下り快速列車の一部は伊万里駅・江迎鹿町駅始発(始発駅 - 佐々駅間は普通列車)
- 線路(全線単線)…∨・◇・◆・∧:列車交換可能 |:列車交換不可能
- ◆:伊万里駅はスイッチバック構造(定期旅客列車の同駅を跨いでの直通はなし)
過去の接続路線
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脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
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