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河野秀数
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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河野 秀数(かわの ひでかず、1987年12月14日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
プロ入り前
山城高時代、3年時の夏は京都府予選4回戦で京都成章高に1-6で敗れた。甲子園出場経験はなし。
佛教大学社会学部現代社会学科に進学すると、京滋大学野球連盟に加盟している硬式野球部に入部する。4年時に第40回明治神宮野球大会に出場し、準決勝の立正大学戦で登板している。1学年後輩に大野雄大がいる。
大学卒業後、社会人野球の新日本製鐵広畑に入団。1年目から公式戦に登板。第81回都市対抗野球大会では、1回戦のJFE東日本戦で救援登板し1回を無失点に抑えるが、チームは1-3で敗退した。第37回社会人野球日本選手権大会でも、1回戦の明治安田生命戦で救援登板している。
2年目は右肘痛に苦しみ、チームは第82回都市対抗野球大会に出場したが自身の登板機会はなかった。3年目は、主に抑えとして起用される[1]。第83回都市対抗野球大会には、NTT西日本の補強選手として出場し[2]、2回戦の伯和ビクトリーズ戦で救援登板した。第38回社会人野球日本選手権大会では、1回戦のJR東日本戦で救援登板するが、チームは0-6で敗退した。
2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから7位指名を受け、入団した[3]。指名後の12月22日に大学時代から交際していた保育士の女性と結婚。ただし、入団当初は千葉県鎌ケ谷市の球団合宿所「勇翔寮」で単身生活を送った[4]。
プロ入り後
2013年には、4月12日のオリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で一軍デビュー。5試合へ登板した後に、出場選手登録をいったん抹消された。6月の再登録後は、9試合連続無失点を記録するなど投球内容が安定。シーズン終盤には、右打者相手のワンポイントリリーフとして、接戦で起用された。一軍公式戦には、通算で33試合に登板。対左打者の被打率の高さに課題を残しながらも、防御率2.23、11ホールドを記録した。
2014年にも、ワンポイントリリーフを中心に、一軍公式戦23試合に登板。8月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)でプロ初勝利を記録した[5]。なお、シーズン終了後の11月22日には、第1子となる長女が誕生[4]。
日本ハム退団後
2015年11月10日に、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加。17分間の降雨中断をはさみながらも、再開直後に田上健一から空振りで三振を奪うなど、打者3人を無安打に抑えた[7]。しかし、NPBを含めたプロ野球他球団から獲得を打診されなかったため、現役を引退した。
現役引退後は、家族と共に地元の京都へ戻り、一般企業に就職している[8]。
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プレースタイル・人物
最速146km/hのストレートと、キレのある曲がりの大きいスライダーとカットボールといった横の変化球で勝負するサイドスロー[9][10]で、外国人の右打者に対するワンポイントリリーフとして活躍した。大谷翔平からは、シーズン終了後に開かれた河野の結婚式で「(外野を)守っている時には、外国人の強打者に向かっていく姿がとても頼もしく感じた。そのような姿に、奥様も惹かれたのかなと思う」というスピーチを贈られた[8]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:2013年4月12日、対オリックス・バファローズ1回戦(ほっともっとフィールド神戸)、6回裏2死に2番手で救援登板、1回1/3を1失点
- 初奪三振:2013年4月13日、対オリックス・バファローズ2回戦(ほっともっとフィールド神戸)、7回裏にアーロム・バルディリスから空振り三振
- 初ホールド:2013年7月30日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(QVCマリンフィールド)、5回裏に2番手で救援登板、2/3回無失点
- 初勝利:2014年8月14日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(札幌ドーム)、5回表無死に3番手で救援登板、1回無失点
背番号
- 59 (2013年 - 2015年)
登場曲
- 「陽の光」GReeeeN(2013年 - 2015年)
脚注
関連項目
外部リンク
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