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波の数だけ抱きしめて
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『波の数だけ抱きしめて』(なみのかずだけだきしめて)は、1991年に公開されたホイチョイ・プロダクションズ原作、中山美穂主演の日本映画[2][3][4][5]。
概要
バブル期に企画・制作されたホイチョイ・プロダクションズ三部作の完結篇[2][3][4]。1982年の神奈川県・湘南を舞台に学生生活最後の夏をミニFM立ち上げにかける若者5人の男女の恋の行方を描く青春映画[3][4][5]。モデルは、1983年に湘南に実在した海岸美化を訴えるために開局されたミニFMラジオ局「FM Banana」である[2][3][注 1]。
作品公開前年の1990年、いわゆる湘南海岸一帯で開催されたSURF90に於けるイベント放送局のサーフ90エフエム「愛称:ジョーズFM、コールサイン:JOOZ-FM、周波数:76.3MHz」から、本作品中で76.3MHzが使用されている[4][注 2]。『波の数だけ抱きしめて』のタイトルに小さく「SeasideFM Kiwi76.3MHz」と書かれている[4]。
なお、当時はまだコミュニティ放送制度がなかったためミニFMは高い出力が出せたが、現在は厳しく制限されているため、構想同様のミニFMの運営は事実上不可能である。
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キャスト
- 田中真理子 - 中山美穂
- 小杉正明 - 織田裕二
- 高校時代から真理子のことが好きだが、それをなかなか告白できずに迷っている。
- 芹沢良明 - 阪田マサノブ
- 自作のミニFM送信機を作るなどの無線マニアだが、女性には興味はない。
- 高橋裕子 - 松下由樹[6]
- 田中、小杉、芹沢の高校時代の同級生。バイクや車の運転が下手、特に停車が苦手。
- 吉岡拓也 - 別所哲也
- 大手広告代理店に勤務。愛車のVWビートルカブリオレでデートしている所、偶然ミニFMでDJをしている真理子にひとめぼれをしてしまう。そんなとき、勤務先で専売公社のサムタイムの湘南キャンペーンを企画しており、真理子がやっている茅ヶ崎のミニFMと結び付けようと必死になる。
- 池本 - 勝村政信
- 吉岡の先輩社員。
- その他:前田真之輔、吉田晃太郎、阿部由美子、石田悠里、松本圭未、岩沢幸矢・二弓(ブレッド&バター)、矢島健一、二瓶鮫一、森川数間 ほか
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スタッフ
- 製作:三ツ井康、相賀昌宏
- エグゼクティブプロデューサー:村上光一、堀口壽一
- プロデューサー:河井真也、茂庭善徳
- 原作:ホイチョイ・プロダクションズ
- 監督:馬場康夫
- 脚本:一色伸幸
- 時代考証:泉麻人
- 音楽:松任谷由実
- 「心ほどいて」(アルバム『LOVE WARS』収録)
- 「Valentine's RADIO」(アルバム『LOVE WARS』収録)
- 「SWEET DREAMS」(アルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』収録)
- 「真冬のサーファー」(アルバム『流線形'80』収録)
- 撮影:長谷川元吉
- 美術:山口修
- 照明:森谷清彦
- 録音:中村淳
- 編集:冨田功
- 音楽監督:杉山卓夫
- 洋楽コーディネイション:北澤孝
- DJ指導:ミック・ボンド
- 助監督:冨永憲治、岡田和則、八木潤一郎、辻裕之、島田明生、兼重淳
- 音響効果:柴崎憲治
- MA:東宝サウンドスタジオ
- フジテレビアソシエイツ(協力プロデューサー):小牧次郎、石原隆、金光修
- ニッポン放送アソシエイツ(協力プロデューサー):田中厳美、入江太乃士、近藤久晴、高橋正文
- プロデューサー補:林万美子
- 現像:東京現像所
- スタジオ:東宝スタジオ
- 製作協力:山田洋行ライトヴィジョン
- 特別協力:日本石油
- 協力:JT
- 配給:東宝
- 製作:フジテレビジョン、小学館
製作
要約
視点
企画
「ホイチョイ三部作」『私をスキーに連れてって』(1987年)、『彼女が水着にきがえたら』(1989年)、本作『波の数だけ抱きしめて』は、全て原田知世と三上博史のコンビで製作する予定だったが[4]、三上がミーハー映画の出演を渋り[4]、二作目はオーディションで織田裕二が選ばれ[4]、好評だったことから本作も原田知世と織田裕二のコンビでの製作を予定していたら、今度は原田が撮影とコンサートのスケジュール調整が出来ず、降板し[4]、オーディションをする時間が無かったことから[4]、河井真也プロデューサーが強引に中山美穂を抜擢した[4]。織田と中山は前年のTBSのテレビドラマ『卒業』で共演経験があった[3]。織田はこの年1月期のフジテレビのドラマ『東京ラブストーリー』でブレイク中という状況。
脚本
最初の脚本では別所哲也の役が主人公だったと馬場監督は述べている[3][7]。織田裕二にプロットを見せた際、こっちの役(小杉役)がいいと言ったため[7]、馬場も脚本の一色伸幸もびっくりして椅子からずり落ちる程で[7]、脚本をずいぶん直した[3]。別所と織田は同じくらいの出番。馬場は当時の別所はまだ無名だったと述べている[7]。別所は本作が代表作のひとつと言っているという[3]。中山美穂が二人のどちらでもなく、年上の男性と結婚するのは、映画ではたいてい年上のおじさんとくっつくオードリー・ヘップバーン映画の影響[3]。
時代設定
馬場監督は、時代設定を1982年にしたのは、日本の若者が全員アメリカ西海岸に憧れてサーファー志向だった1982年のサーファー文化の雰囲気をフィルムに残したかったから、当時、CDがアナログレコードを凌駕していて、アナログレコードがなくなってしまうのではないかという危機感からレコード文化を記録しておきたかったから[3]、ジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』の著名なキャッチコピー「1962年の夏、あなたはどこにいましたか?」を意識して、一番いい時代の湘南を振り返るという意味で1982年にしたと述べている[3]。エンドクレジットの「時代考証」に泉麻人の名前がクレジットされる。
キャスティング
キャスティングは全てプロデューサーがやった[7]。馬場が役者に演技をさせることは自分には出来ないと承知しているため、芝居が出来る人をキャスティングした[7]。登場人物の役名のうち、小杉正明と芹沢良明は、ホイチョイ・プロダクションのメンバーの名前を採用している[注 3]。また馬場監督の映画に必ず出てくる文男と真理子という役名は、馬場監督が高校生の時に撮った8ミリに最初に出演してくれた仲間の名前で、役名だけでなく、実際に出演もする映画もある[3]。松下由樹は馬場が最も好きな女優[6]。馬場が芝居にこだわらないため、特に「青森まで」他、松下のシーンはアドリブが多いという[7]。馬場は「よく見るとこれは松下さんの映画」と述べている[7]。
美術
『ビッグコミックスピリッツ』に「1982年当時の服を探しています」と告知し、読者からたくさん送られてきた。衣装が集めた服がメインだが、読者から送られた古着も使ったという[3]。アイビー、サーファー、ハマトラといった当時の若者たちのファッションが見られる[4]。衣装は馬場監督が細かくこだわった[6]。また日焼けも1982年はそんなもんじゃないという馬場監督の考えから、松下由樹は最も黒い設定だったが、まだ足らないと撮影前に毎回ドーランを塗った[6]。
撮影
劇中、吉岡拓也(別所哲也)が、主舞台であるミニFM局は「辻堂から1キロある」という台詞を言う。しかし主舞台のミニFM局から見える海に映るべき江の島が映らない。ロケハンで1982年の湘南の雰囲気を残す場所を探したが、海岸沿いに大きな建物が立つなど、たったの8年で一変していた。当時、藤沢市辻堂あたりで大幅な護岸工事があり、ビーチを完全に変えたことから、湘南メインで撮ることを断念した[3]。このため関東近県の海岸線を虱潰しに当たり、千葉県の千倉町(現南房総市)で合宿して撮影した[3][6]。前年の桑田佳祐監督『稲村ジェーン』も1965年の稲村ヶ崎を舞台としていたことから、同様にロケハンに難航し、本作のスタッフも行く先々で『稲村ジェーン』のスタッフの名刺を見たという[3]。茅ヶ崎あたりのイメージでミニFM局のセットを建てた。江の島など、明らかに湘南だとわかるシーンも多いが、他は大半が千葉での撮影。中山美穂は人気絶頂でロケ現場に中高生が押し寄せ、その整理が大変だったという[3]。オレンジ色のサーフショップは九十九里浜[3]。1991年7月9日クランクアップ[6]。
ロケ地
アイテム
- ダットサントラック(720型) - バイト先で小杉がよく運転する。時代設定は1982年だが、登場する型は古くとも1983年以降のマイナーチェンジ後の型。また、1982年当時はドアミラーは違法だった。
- ヤマハ・ポップギャル - 裕子がノーヘルで乗るバイク。
- KENWOOD製カーオーディオ - ダットサントラックとVWカブリオレに装着。
- ナショナル・クーガー 2200 - レコード棚の上にアンテナカプラ付きで置かれている。
- ソニー・スカイセンサー 5900 - 小杉たちが電波の到達状況をチェックするために常用している。
- DENON・DP-1200 レコードプレーヤー
- SHURE・M44-7「DJカートリッジ」- レコードプレーヤー DP-1200に使用されている。出力レベルの大きさ、高耐久性、針飛びのしにくさが特徴で、DJ用として当時から定評があった。
- BOSE・1701 アンプリファイア - TEAC C-3X の上に置かれている。
- TEAC・C-3X カセットデッキ - 真理子がオリジナルのジングルをかけるシーン等で使用。
- TEAC・PA-7 コントロールアンプ - TEACとTANNOYが共同開発したArmoniaシリーズのコントロールアンプ。
- TASCAM・M-106 オーディオミキサー
- TASCAM・33-2 オープンリール
- ゼンハイザー・HD414 - 真理子がDJブースで使用するメインモニター。
- セイコー・セイコー 150mダイバー 4thモデル 7002-7000 オートマチック 小杉使用のダイバーズウォッチ。
- プリモ・ビール
その他
冒頭のビートルが砂浜にスタックするシーンの直前に82年5月と字幕が出たのち、2人乗りの水上オートバイが映るが、当時はまだ二人乗りの水上オートバイは開発されておらず、ジェットスキーも1人乗りしか存在していなかった。
作品中では、中継器を200 - 300m毎に設置していく多段中継が機能しているように描かれているが、実際には不可能である。劇中のKIWIの周波数は、76.3MHzのみである。中継局の中継器が同じ76.3MHzを受信し、同周波数で送信したとすれば、中継器が送信した電波を中継器が受信してしまい、マイクをスピーカーに近づけたときに起こるハウリングと同様の状態となり、中継はできない[8]。中継を可能にするためには、2つ以上の周波数を用い、中継するごと受信、送信周波数を変えた運用であれば可能である。なお、KIWIの床に赤と青の丸に書かれた中継局の番号は、76.3MHzの他にもう1つの周波数を使っていた2つの周波数の使用をにおわせる。
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音楽
挿入歌としてJ.D.サウザーやネッド・ドヒニーなどのAORナンバー、TOTO「ロザーナ」などが使用された[3][5][9]。エンドクレジットの「音楽」にはユーミンの4曲しかクレジットされず、このことから洋楽の使用許諾がなかなか得られなかったため、本作品は長らくDVD・BD化はされなかった(2010年発売)[2]。馬場監督はガチガチのジャズファンで、AORはほとんど聴いてなかったが[3]、馬場が当時、ロッキング・オンから出ている雑誌『Cut』で連載を持っていた縁があり、音楽評論家の渋谷陽一に相談に行き、「1982年を取り上げたいと思っているんです」と言ったら、渋谷から「その時代の音楽はクソだぞ、なんでそんな時代をやるの」と言われたという[3]。しかし渋谷から参考になるデータをもらった[3]。但し山場で使われるのはユーミン。
サウンドトラック『波の数だけ抱きしめて』
- ソニー・ミュージックエンタテインメントから1991年8月23日から発売された。映画で流れる10曲をフィーチャーしている。
- 品番 SRCS5566
- J.D.サウザー / ユア・オンリー・ロンリー
- TOTO / ロザーナ
- バーティ・ヒギンズ (en:Bertie Higgins) / キー・ラーゴ
- ネッド・ドヒニー (en:Ned Doheny) / 愛を求めて
- ジョージ・デューク (George Duke) / シャイン・オン
- ジェームズ・テイラー & J.D.サウザー / 憶い出の町
- シェリル・リン (Cheryl Lynn) / イン・ザ・ナイト
- カーラ・ボノフ (en:Karla Bonoff) / パーソナリィ
- ラリー・リー (en:The Ozark Mountain Daredevils) / ロンリー・フリーウェイ
- バーティ・ヒギンズ / カサブランカ
プレゼントCD
- 当サントラとは別に日本石油が景品用に制作されたCDが存在した。こちらはKYOYAがDJとして参加している。
- 日本石油のプレゼント企画の内容は、サントラフルバージョンの半分くらいの楽曲であったが、他のプレゼント企画で用意されたサントラは10曲フルバージョンに、KYOYAがDJとして参加していて豪華な造りになっている。
サントラ再発売
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作品の評価
- 馬場監督は「人生で一番観ている映画」と述べている[7]。
受賞
関連商品
- VHS
- 『波の数だけ抱きしめて』(1992年6月19日)
- 『波の数だけ抱きしめて』(1999年10月6日)商品コードPCVG-10637
- LD
- 『波の数だけ抱きしめて』(1992年6月19日)
- DVD
- 『波の数だけ抱きしめて』(2010年6月25日)
- Blu-ray Disc
- 『波の数だけ抱きしめて』(2010年6月25日)
脚注
関連項目
外部リンク
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