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淀橋
東京都の橋 ウィキペディアから
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淀橋(よどばし)は、東京都新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。および東側にある交差点の名称、現在の新宿駅西口の一帯(新宿区西新宿)を指す地域の旧称でもある。
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元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。さらに、1960年代後半以降の淀橋浄水場跡の開発(新宿副都心計画)により超高層ビルが林立するオフィス街へと発展した。1990年、東京都庁が千代田区丸の内からこの地に移転し、現在では副都心(新都心)と呼ばれる。
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橋
名称
武蔵国豊島郡7郷のひとつである余戸(あまるべ)を「よど」と呼んだことによる説[1]、豊島郡柏木村・角筈村、多摩郡本郷村・中野村の4村の境を意味する「四所橋」が転訛したとする説[1][2]、当地の様子が山城国の淀に似ていたとする説[1][2]など諸説ある。他に、川の流れが緩やかでよどんで見えたからとする説もある[3]。
新宿区みどり土木部道路課によって北東袂に設置された「淀橋の由来」によると、古称は中野長者鈴木九郎の伝説に由来する「姿見ずの橋」「いとま乞いの橋」だったが、鷹狩の際に当地を訪れた徳川家光が「不吉な話で良くない、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」に命じたとされる。
地理
地形
神田川は、杉並区から中野区に入ると善福寺川と合流、東進した後、長者橋の辺りから急カーブを描き、北東へと向きを変える(このカーブの外側の台地は淀橋台と呼ばれる)。また神田川が中野区と新宿区の区境となる。長者橋から600mほど下流に淀橋がかかっている。
新宿から西進してきた青梅街道は西新宿駅付近から成子坂を下る。成子坂下交差点を過ぎると新宿税務署通りと合流する。この地点が淀橋交差点である。この先が淀橋で、橋を渡り中野坂を上ると中野坂上となる。
神田川の両岸は遊歩道となっているが、淀橋で中断している。歩き続けるには、迂回して横断歩道を渡る必要がある。
場所
直近の住居表示は以下の通り。
- 北東(下流・右岸) - 新宿区北新宿2-22-13
- 南東(上流・右岸) - 新宿区西新宿5-1(淀橋さくら公園)
- 北西(下流・左岸) - 中野区中央1-1-1
- 南西(上流・左岸) - 中野区本町1-13-18
- 北東(下流・右岸)
- 南東(上流・右岸)
- 南西(上流・左岸)
- 北西(下流・左岸)
- 北西(2011年)
- 橋から北側を見る(2023年3月)
- 南東側直近には淀橋さくら公園がある。
- 淀橋交差点(東から西を見る)
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淀橋地域
沿革
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- 1889年(明治22年)5月 - 市制町村制に先立ち、南豊島郡柏木村・角筈村・内藤新宿添地町の飛地(二番地)が合併して、南豊島郡淀橋町となる[4]。また、これに隣接して大字柏木字淀橋姿(これで「よどばし」と読む)も同時期に存在した。
- 1896年(明治29年) - 南豊島郡が廃止され、豊多摩郡となる[5]。淀橋町には豊多摩郡役所が置かれた[6]。
- 1922年(大正11年)12月11日 - 西武軌道の角筈(新宿駅西口) - 淀橋間が開通[7]。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町が合併して淀橋区となり、東京市の区として発足した[8]。大字角筈のうち以下の字(淀橋・本村・砂利場・二軒家前・長町・東田・豊水・鷹場・谷中前)の区域が淀橋区淀橋となる。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 淀橋区が、四谷区・牛込区と合併して新宿区となる[9]。新宿区淀橋として地名が存続。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 新宿区淀橋の名称が住居表示の実施により消滅、西新宿五丁目、西新宿六丁目(公園通り西側)、西新宿二丁目と西新宿四丁目(それぞれ一部)になる。
主な施設
旧・淀橋町に含まれるもの
旧・淀橋区に含まれるもの
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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