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渡辺真理

日本のフリーアナウンサー (1967-) ウィキペディアから

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渡辺 真理(わたなべ まり、1967年6月27日 - )は日本のフリーアナウンサーTBSの元アナウンサー。本名は高井 真理(たかい まり)で、旧姓は渡辺(わたなべ)。

概要 わたなべ まり渡辺 真理, プロフィール ...

神奈川県横浜市中区生まれ。かつてはオフィス・トゥー・ワンに所属していた。

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来歴

TBSアナウンサー時代

横浜雙葉中学校・高等学校を経て国際基督教大学教養学部人文科学科を卒業後、1990年4月にTBS[注釈 1]にアナウンサー26期生として入社(同期は岩井健浩有村美香田中宏明[1][2]

入社から1年後の1991年4月、朝のワイドショー『モーニングEye』のキャスターに抜擢される。また、番組最後の出題アシスタントとなった『クイズダービー』をはじめ、『そこが知りたい』や『スーパーサッカー』なども担当した。

1996年秋に『モーニングEye』がTBSビデオ問題の影響で終了した後は、『筑紫哲也 NEWS23』第2部のキャスターに就任。「若き巨匠ヨー・ヨー・マー」で第22回'96アノンシスト賞 グランダ・プレミオ賞を受賞するが[3]、1997年秋の番組リニューアルを機に降板した。

1998年3月[注釈 2]にTBSを退社するまでの半年間は、TBSラジオの『渡辺真理 MELODY MARKET』が唯一のレギュラー番組であり、他は世界フィギュアスケート選手権中継のナビゲーターを務める程度であった。

フリー転向後

退社後、フリーアナウンサーに転向。TBSでの先輩である久米宏にそのキャラクターを買われ、オフィス・トゥー・ワンに所属した。

小宮悦子の後任でテレビ朝日ニュースステーション』の2代目サブキャスターに抜擢され、2004年3月26日の番組終了までコンビを組んだ。ライバル同士と言われた『筑紫哲也 NEWS23』と『Nステ』の両番組に出演した唯一の人物である。

『Nステ』の終了後には、ビートたけし司会の『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』(朝日放送)でアシスタントを務めたほか、各種ラジオ番組にも出演している。2006年秋からはラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』にて、TBS退社後約8年半ぶりに古巣での仕事を行う。

2015年8月の時点で、オフィス・トゥー・ワンの公式サイトからプロフィールが削除されている。

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出来事・エピソード

  • 2006年9月7日23時40分頃、目黒区中央町の都道で車を停めて開けた運転席ドアに後方から来た自転車が接触。自転車に乗っていた男性(当時29歳)は転倒し、左肩打撲の軽傷を負った。渡辺は「買い物をしようとして、後方確認が不十分なままドアを開けてしまった」と説明。男性のけがが軽かったことなどから、警視庁目黒署は物損事故扱いとした。また、渡辺自身も同年12月頃に転倒し、右のほおを負傷した。頬内部が内出血で腫れ上がり、あごを8針も縫う大怪我であったが、負傷部位に大きなガーゼをあててレギュラー番組に出演し続けた。2007年の春先に回復している。
  • 2008年8月27日に、フジテレビプロデューサーの高井一郎(当時45歳)と結婚した。互いに初婚である。中高の先輩である八木亜希子が2人を引き合わせ、出会って3か月、交際2か月のスピード婚で、渡辺の旧知の糸井重里樋口可南子夫妻が婚姻届の証人となった[5][6]
  • 2015年3月22日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ)でTBSの後輩である青木裕子との初共演となったが、2人の在籍年度が全く異なるため[注釈 3]、青木とは同番組での共演時まで面識がなかった。
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出演

テレビ番組

TBSアナウンサー時代

フリー転向後

テレビドラマ

ラジオ番組

ネット配信番組

映画

CM

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脚注

参考文献

外部リンク

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