トップQs
タイムライン
チャット
視点
渥美郡
日本の愛知県(三河国)にあった郡 ウィキペディアから
Remove ads

郡域
歴史
要約
視点
古代から近世まで
7世紀後半の評制度化では、飽海評(飽海評、渥美郡)と呼ばれた。
郡名は阿曇連(あづみのむらじ)に由来すると伝えられている。伊勢国に近いため伊勢神宮の荘園である御厨・御園が多く存在した。垂仁天皇時代には、国造が三河国渥美郡の神戸を朝廷に寄進している(『太神宮諸雑事記』第一)。また『吾妻鑑』によると、建久10年3月23日(1199年4月19日)乙卯に、参河の国飽海本神戸・新神戸・大津神戸・伊良胡御厨が存在している[1]。
中世には一色氏が支配したが、応仁の乱後は田原城や二連木城を築いて渥美郡の支配力を強める戸田氏に対し、16世紀の初頭からは隣郡の宝飯郡から牧野氏が今橋城を築いて戸田氏と争った。度重なる今橋城(吉田城)の争奪戦に西三河の松平氏まで絡んでくるが、東から駿河国・遠江国を治める今川氏が松平氏・戸田氏・牧野氏をまるごと従えるようになったため、今川氏による支配で落ち着いた時期もある。
室町戦国時代には、奥郡という呼び方もある。文明6年11月1日の如光弟子帳で、「奥郡野田」と見える(上宮寺文書 / 岡崎市史6)。その他、戦国期から江戸初期の史料では、大津(老津)・神戸・伊良湖・堀切・弥熊などが奥郡の地名として見え、渥美半島一帯が奥郡と称されていたものと推定される。天文20年5月7日の今川義元判物によると「参河国奥郡神戸郷南方名職之事、右如前前公事年貢等令取沙汰、百姓職永可勤之并船二艘事」が本多正忠に宛行われている(摩訶耶寺文書/静岡県史料5)。
江戸期には吉田藩や田原藩や畑村藩などの変遷を経て廃藩置県を迎えた。
郡の北端(宝飯郡との境界)を流れる現在の豊川(とよがわ)は過去、時代ごと地域ごとにいくつかの名称があったとされ、古代における最下流域の渡津郷付近では「飽海川(あくみがわ)」と呼ばれていたことが、承和2年(西暦835年)に発令された『太政官符』によって確認できる[2]。
近世以降の沿革
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年11月27日(1872年12月27日) - 愛知県の管轄となる。
- 明治7年(1874年) - 土倉新田・下野新田が茅野新田に合併。(1町132村)
- 明治11年(1878年)12月20日 - 郡区町村編制法の愛知県での施行により、行政区画としての渥美郡が発足。郡役所が豊橋に設置。同年、以下の各村の統合が行われる。(1町60村)
- 五並村 ← 上細谷村、下細谷村、小島村、寺沢村、東七根村、西七根村、小松原村
- 豊南村 ← 万場新田、赤沢村、東伊古部村、城下村、高塚村、西伊古部村
- 豊橋村 ← 飽海村、仁連木村[一部]
- 花田村 ← 羽田村、花ヶ崎村
- 青野村 ← 青竹新田、富久縞新田、牧新田、茅野新田、加藤新田、中村新田
- 谷川村 ← 原村、中原村、雲谷村
- 福岡村 ← 佐藤村、山田村、小松新田、小池村、橋良村、小浜村
- 東田村 ← 瓦町村、仁連木村[残部]
- 高師村 ← 藤並新田、森田新田、芦原新田、高足村、高足新々田、高足原尾先新田
- 岩田村 ← 上岩崎村、下岩崎村、手洗村、田尻村、平川新田
- 植田村 ← 東植田村、西植田村、津田新田
- 磯辺村 ← 上牟呂村、中牟呂村、富田新田、松島新田、下牟呂村、向草間村、草間村、松井新田、上原新田
- 豊田村 ← 野田村、吉川村、三相村、馬見塚村、高須新田
- 老津村 ← 北大津村、南大津村、森崎新田
- 杉谷村 ← 谷熊村、神吉新田、杉山村
- 六連村 ← 数原新田、片神戸村、百々村、長仙寺村、久美原村、浜田村
- 豊島村 ← 院内村、今田村
- 神戸村 ← 本前村、水川村、谷ノ口村、東ヶ谷村、新美村、志田村、赤松村、青津村、市場村、漆田村
- 野田村 ← 上野田村、下野田村
- 東堀切村が堀切村に、切反ヶ谷村・仏餉村が野依村に、大脇新田が二川村にそれぞれ合併。
- 明治15年(1882年) - 杉谷村が分割し、一部(旧神吉新田・杉山村)が杉山村、残部が谷熊村となる。(1町62村)
- 明治17年(1884年)(1町76村)
- 五並村が分割して上細谷村・下細谷村・小島村・寺沢村・七根村・小松原村となる。
- 豊田村が分割し、一部(旧野田村・吉川村・三相村)が東豊田村、残部(旧馬見塚村・高須新田)が西豊田村となる。
- 豊南村の一部(旧東伊古部村・西伊古部村)が分立して伊古部村、一部(旧城下村・高塚村)が分立して高塚村となる。
- 東田村の一部(旧仁連木村)が分立して瓦町村となる。
- 岩田村の一部(旧下岩崎村・田尻村・平川新田)が分立して岩崎村となる。
- 磯辺村の一部(旧上牟呂村・中牟呂村・富田新田・松島新田・下牟呂村)が分立して牟呂村となる。
- 神戸村の一部(旧本前村・谷ノ口村)が分立して南神戸村、一部(旧東ヶ谷村)が分立して東神戸村、一部(旧新美村・志田村・赤松村)が分立して西神戸村となる。
町村制以降の沿革

- 明治22年(1889年)10月1日 - 町村制施行により、以下の町村が発足。(1町32村)
- 豊橋町(豊橋[9]が単独町制。現・豊橋市)
- 豊橋村、花田村(それぞれ単独村制。現・豊橋市)
- 吉田方村 ← 東豊田村、西豊田村、青野村[大部分]
- 牟呂村、福岡村、磯辺村、高師村(それぞれ単独村制。現・豊橋市)
- 植野村 ← 野依村、植田村(現・豊橋市)
- 豊岡村 ← 岩田村、飯村、岩崎村、瓦町村、東田村、三ノ輪村(現・豊橋市)
- 大川村 ← 二川村、大岩村、谷川村(現・豊橋市)
- 細谷村 ← 上細谷村、下細谷村(現・豊橋市)
- 小沢村 ← 小島村、小松原村、寺沢村(現・豊橋市)
- 高根村 ← 高塚村、七根村(現・豊橋市)
- 豊南村 ← 豊南村、高塚村、伊古部村(現・豊橋市)
- 老津村、大崎村(それぞれ単独村制。現・豊橋市)
- 六連村(一部を除き単独村制。現・田原市)
- 杉山村(単独村制。現・豊橋市)
- 相川村 ← 谷熊村、豊島村、六連村[一部](現・田原市)
- 神戸村 ← 神戸村、東神戸村、南神戸村、西神戸村、大草村(現・田原市)
- 田原村 ← 田原村、加治村(現・田原市)
- 童浦村 ← 浦村、波瀬村、片浜村、白谷村、吉胡村(現・田原市)
- 野田村 ← 野田村、大久保村、芦村、仁崎村(現・田原市)
- 赤羽根村、高松村(それぞれ単独村制。現・田原市)
- 若戸村 ← 若見村、越戸村(現・田原市)
- 和地村(単独村制。現・田原市)
- 伊良湖村 ← 小塩津村、堀切村、日出村、伊良湖村(現・田原市)
- 中山村(単独村制。現・田原市)
- 福江村 ← 畠村、保美村、向山村、亀山村(現・田原市)
- 清田村 ← 古田村、高木村、山田村(現・田原市)
- 泉村 ← 伊川津村、石神村、村松村、馬伏村、江比間村、宇津江村、八王子村(現・田原市)
- 青野村の一部が宝飯郡前芝村の一部となる。
- 明治23年(1890年)11月7日 - 伊良湖村が分割し、一部(堀切・小塩津)に堀切村が、残部(日出・伊良湖)に改めて伊良湖村がそれぞれ発足。(1町33村)
- 明治24年(1891年)
- 明治25年(1892年)10月3日 - 田原村が町制施行して田原町となる。(2町34村)
- 明治26年(1893年)6月23日 - 大川村が町制施行して大川町となる。(3町33村)
- 明治28年(1895年)2月25日 - 豊橋町・豊橋村が合併して豊橋町が発足。(3町32村)
- 明治29年(1896年)7月1日 - 大川町の一部(谷川)が分立して谷川村が発足。(3町33村)
- 明治30年(1897年)2月22日 - 福江村が町制施行して福江町となる。(4町32村)
- 明治39年(1906年)
- 7月1日 - 以下の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(4町28村)
- 7月16日 - 以下の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(4町17村)
- 豊橋町 ← 豊橋町、豊岡村、花田村
- 田原町 ← 相川村、田原町、童浦村、大久保村
- 赤羽根村 ← 高松村、赤羽根村、若戸村
- 伊良湖岬村 ← 堀切村、和地村、伊良湖村
- 福江町 ← 清田村、福江町、中山村
- 8月1日 - 豊橋町が市制施行して豊橋市となり、郡より離脱。(3町17村)
- 8月31日 - 以下の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(3町11村)
- 高豊村 ← 高根村、豊南村
- 高師村 ← 磯辺村、福岡村、高師村、野依村、植田村、大崎村
- 9月10日 - 杉山村、六連村が合併し、改めて杉山村が発足。(3町10村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和7年(1932年)9月1日 - 高師村・牟呂吉田村が豊橋市に編入。(3町8村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)11月1日 - 赤羽根村が町制施行して赤羽根町となる。(3町)
- 平成15年(2003年)8月20日 - 田原町が赤羽根町を編入のうえ市制施行して田原市となり、郡より離脱。(1町)
- 平成17年(2005年)10月1日 - 渥美町が田原市に編入。同日渥美郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
Remove ads
行政
- 歴代郡長
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads