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瀬尾和紀
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瀬尾 和紀(Kazunori Seo, せお かずのり、1974年7月22日 - )は、日本のフルーティスト、ピアニスト。
略歴
幼少期よりピアノを習う。10歳よりフルートを始め、高橋安治に師事。1991年に渡仏し、レイモン・ギオー、クルト・レーデル、パトリック・ガロワ、ブノワ・フロマンジェ等のもとで学ぶ。1995年にパリ国立高等音楽院に首席入学し、アラン・マリオンに師事。1998年にフルート科を審査員満場一致のプルミエ・プリ(一等賞)で卒業。同音楽院の大学院課程においてオーボエのモーリス・ブルグ、ピアノのクリスチャン・イヴァルディ、ヴァイオリンのアミ・フラメールといった器楽奏者の下で研鑽を積み、1999年に室内学科をプルミエ・プリで卒業。この間、数々の主要な国際コンクールで立て続けに優勝・入賞を果たし、ソリストとして世界中にその名を広めた。以降、フランスと日本を拠点としながら、ヨーロッパ諸国やアメリカ、中国、台湾、韓国でのマスタークラスおよび演奏活動を、また、世界各地での音楽祭やコンクールの審査員に招かれている。
2009年より山口県の秋吉台国際芸術村で行われる秋吉台ミュージック・アカデミーを主宰[1]。名古屋音楽大学客員准教授[2]。
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活動歴
演奏活動
フランスのPRO MUSICIS 財団のアーティストとしてパリや、ニューヨークのカーネギー・ホールなどでリサイタルを行う。また、フィンランドのクフモ室内楽音楽祭、フランス国営放送局モンペリエ音楽祭、済州島音楽祭、北九州国際音楽祭などに出演している。
日本においては、1999年に東京都交響楽団とイベールのフルート協奏曲を共演し、デビューを果たした。その後は、札幌交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、九州交響楽団など全国各地のオーケストラと共演を重ねている。
編曲活動にも意欲的に取り組み、2011年にはオリジナル編曲版として6人によるベートーヴェンの「英雄」と12人によるマーラーの「交響曲第9番」を三井住友海上しらかわホールにて発表・演奏し[3]、その斬新性が反響を呼んだ。
レコーディング活動
2001年にハンガリーのニコラウス・エステルハージ・シンフォニアと共演した『レオポルト・ホフマン/フルート協奏曲集』がNAXOSからリリースされ、CDデビューを果たした。同年にエラート=ワーナー・ミュージックより『シランクス~フランス・フルート近代作品集』もリリースされ、好評を博した。その後も幅広いレパートリーおよび様々な器楽奏者を共演者に迎えて録音を行っている。
また、既存のフルートレパートリーのみならず、知られざるフルート作品や室内楽曲の発掘に目を向け、20世紀のピアニストとして知られるヴァルター・ギーゼキングの親族へ取材を重ね、未出版であった作品を発見している[4]。その後、2010年に自身が立ち上げたレーベル"Les Ménestrels(レ・メネストレル)" から『ヴァルター・ギーゼキング 室内楽作品集』[5]をリリースし、ギーゼキングの作曲家としての一面に光を当てた。
2013年に新たにレーベル名を"Virtus Classics(ヴィルトゥス・クラシックス)"[6]とした。プロデューサーを務めながら、ピアニストとしてパトリック・ガロワとの録音を手がけるほか、様々なコンセプトに基づいたテーマ別のレコーディングプロジェクトを立ち上げている。
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受賞歴
ディスコグラフィー
要約
視点
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エピソード
テレビゲーム『ファイナルファンタジー』(FF)好きであったことがきっかけで、このゲームの作曲家・植松伸夫から曲を贈られている。FFシリーズを代表する一曲「ザナルカンドにて」は実は瀬尾和紀のために書かれた曲であるが、「フルートで演奏するには悲しすぎる」という理由で植松が封印していたところ、最終的に『FFX』で採用されることとなった[11]。
脚注
外部リンク
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