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熊川次男
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熊川 次男(くまかわ つぎお[1][2][3]、1930年〈昭和5年〉11月30日[4][1][2][3] - )は、日本の弁護士(登録番号:8186)、政治家。衆議院議員(4期)、大蔵政務次官(第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。
経歴
群馬県吾妻郡嬬恋村に、父・熊川博、母・のいの子として生まれる[4][1][3]。叔父は群馬県議会議員を務めた熊川良太郎[1]。群馬県立中之条農業学校を経て[1]、1954年中央大学法学部卒業[1][2][3]。1958年に司法試験合格[1][3]。1959年、早稲田大学大学院法学研究科を修了[1][2][3]。
1961年前橋市に熊川弁護士事務所を設立[4][1][2]。税理士としても登録[2][3]。群馬法律専門学校講師、前橋市労働教育委員などを歴任する[4][1]。
1971年に群馬県議会議員に当選[4][1][2][3]。翌1972年に県議会議員を辞職し第33回衆議院議員総選挙に立候補するが落選[1][3]。
1973年、群馬弁護士会会長となり[4][1][2][3]、1974年、日本弁護士連合会副会長に就いた[4][1][2]。1976年の第34回衆議院議員総選挙に立候補するが再び落選[1]。
1979年の第35回衆議院議員総選挙に群馬1区から立候補し初当選[4]。以後、連続当選4回。第2次中曽根内閣で大蔵政務次官に、竹下内閣で総務政務次官・衆議院環境委員長に就任。このほか、自由民主党政調国防副部会長・自民党労働副部会長・自民党法務副部会長・自民党商工副部会長・自民党財務副部会長・自民党国民運動本部副本部長・自民党全国組織委員会研修局局長・自民党国会対策副委員長などを歴任した。
1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選し、議席を失う。1993年の第40回衆議院議員総選挙でも落選。その後自民党を離れ、1996年の第41回衆議院議員総選挙では新進党から、2000年の第42回衆議院議員総選挙では民主党から立候補したが、いずれも落選。その後、政界から引退した。
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家族
- 吉川真由美 - 長女。元群馬県議会議員。
著書
- 『いっしょに考えよう 明日の婦人問題』
脚注
外部リンク
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