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片倉もとこ

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片倉 もとこ(かたくら もとこ=素子=・旧姓新谷[2]1937年10月17日 - 2013年2月23日[3])は、日本文化人類学者人文地理学者[1]

概要 人物情報, 別名 ...

生涯

要約
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略歴

出典:片倉もとこフィールド調査資料 2021, pp. 3–7, 片倉もとこの研究歴と人物像片倉もとこ - researchmap
ワーディ・ファーティマ地域での調査研究成果を博士論文にまとめた:論文タイトル:An anthropogeographical study of Saudi-Arabian bedouin communitiesサウディ-アラビアにおける遊牧民社会の人文地理学的研究)[8]

没後2013年11月7日、片倉もとこ記念沙漠文化財団が設立される。財団の目的は、"片倉もとこの志を受け継ぎ「沙漠文化大切にし」「沙漠そのもののうつくしさをひきだす」ことにより、沙漠文化の「諒解」に寄与すること" であり、"片倉もとこ研究資料の整理とその再活用を積極的に推進していくこと" も活動の一点である[12]

主な受賞歴

出典:片倉もとこ記念沙漠文化財団, 片倉もとこ紹介 / 片倉もとこ - researchmap
  • 1980年 アジア経済研究所開発途上国研究奨励賞『アラビア・ノート:アラブの原像を求めて』(日本放送出版協会刊)[13]
  • 1981年 東京海上各務記念財団第1回優秀著書(文化部門)賞
  • 1983年 第6回石油文化賞
  • 1984年 第3回女性のためのエッソ研究奨励賞
  • 1991年 大同生命地域研究奨励賞 「アラブ・イスラーム研究の新境地開拓の業績」に対して[14]
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人物

  • 京都・国際日本文化研究センターの歴代所長は梅原猛河合隼雄山折哲雄と生え抜きが続いていたが、関東からの初めての女性所長である[15]
  • 邦雄氏の米国駐在時に、同じく同時期に米国駐在であった小和田恆とその家族と交流があり、皇后雅子とも知り合いであった[要出典]
  • 「素子」の名は、姓名判断によると、旧姓の「新谷」では問題ないが、「片倉」姓と組み合わせると、死んでしまう不吉な字画であるため、「もとこ」表記としていた。しかし、国立民族学博物館の研究室入り口のネームプレートは、戸籍通りの「素子」表記なので、複雑な気分であったことに、自著『沙漠へ、のびやかに』の中で触れている。

著書

単著

  • 〈英語版〉Bedouin village : a study of a Saudi Arabian people in transition(University of Tokyo Press, 1977)[16]
    • 〈アラビア語版〉Ahal al-Wādī(ワーディの人々)(Dār al-Qārī al-‘Arabī、1996)[17]
  • 『アラビア・ノート:アラブの原像を求めて』(日本放送出版協会NHKブックス〉、1979年/ちくま学芸文庫、2002年)
  • 文化人類学 遊牧・農耕・都市』(八千代出版、1979年)
  • 『沙漠へ、のびやかに』(筑摩書房、1987年)
  • 『イスラムの日常世界』(岩波新書、1991年)
  • 『イスラーム教徒の社会と生活』〈講座イスラーム世界(1)〉(栄光教育文化研究所、1994年)
  • 『「移動文化考」 イスラームの世界をたずねて 』(日本経済新聞社、1995年/岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1998年)
    • 『イスラームの世界観 「移動文化」を考える』 (岩波現代文庫、2008年)
  • 『ゆとろぎ イスラームのゆたかな時間』(岩波書店、2008年)
  • 『やすむ元気もたない勇気 「ゆとろぎ」の思想に学ぶ知恵』(祥伝社、2009年)
  • 『旅だちの記』(中央公論新社、2013年)※遺著

共著

  • 『いまアジアを考える(3)』(三省堂選書(131)、1986年)

編著

  • 『人々のイスラーム その学際的研究』(日本放送出版協会、1987年)
  • 『イスラーム世界事典』(片倉編集代表、編集委員:加賀谷寛後藤明内藤正典中村光男明石書店、2002年)
  • 『イスラーム世界』(梅村坦清水芳見との編著、岩波書店、2004年)

訳書

片倉もとこフィールド調査 

"サウディ・アラビア、マッカ州ワーディ・ファーティマ(Wādī Fāṭima)地域を調査地として選定……1968年12月~1970年8月にかけての20か月間にわたり、集約的なフィールド調査をなしとげ、その後も1971~1975年にかけて毎年のように同地を訪れ、1982~1983年、1988年、そして2003年にも再訪している[18]"。

"アラビア半島西部に位置する調査地ワーディ・ファーティマは、水と緑に恵まれたオアシス社会が長期にわたり形成された地域として知られる。イスラームの聖地マッカマディーナ紅海に臨む港町ジッダを結ぶ交通路の途上に位置する[19]"。

新たな調査グループによる再調査期間は2015年~2019年、2015年は片倉邦雄も同行[20]

  • 西尾哲夫・縄田浩志(編)「片倉もとこフィールド調査資料の研究」(PDF 8.1MB)『国立民族学博物館 調査報告』第153巻、国立民族学博物館、2021年10月29日、i-vii頁,1-216頁。
    • 片倉もとこによるサウディ・アラビア、ワーディ・ファーティマ地域を対象とするフィールド調査資料の学術的特徴について doi:10.15021/00009858
    • 片倉もとこによるサウディ・アラビア、ワーディ・ファーティマ地域を対象とするフィールド調査資料、特に写真資料の社会的特徴について doi:10.15021/00009859
    • 片倉もとこによるサウディ・アラビア、ワーディ・ファーティマ地域を対象とするフィールド調査写真のアーカイブ登録について doi:10.15021/00009860
    • 国立民族学博物館収蔵倉もとこ収集資料とサウディ・アラビア、ワーディ・ファーティマ社会開発センター所蔵生活用具との比較研究 doi:10.15021/00009861
    • サウディ・アラビア、ワーディ・ファーティマ地域における衣服の変化とリバイバル doi:10.15021/00009862
    • 片倉もとこフィールド調査写真によるリピート写真撮影と新旧比較写真の作成 doi:10.15021/00009863
    • ワーディ・ファーティマ 8mm 映像と片倉もとこインタビュー doi:10.15021/00009864
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脚注・出典

関連サイト

外部リンク

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