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片山 (新座市)
埼玉県新座市の町名 ウィキペディアから
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片山(かたやま)は、埼玉県新座市の町名。現行行政地名は片山一丁目から三丁目。郵便番号は352-0025[2]。
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地理
埼玉県新座市南部に位置する。東京都練馬区とも接している。かつては周辺も大字片山であったが、住居表示により大部分が分離した。
飛び地の存在
片山3丁目の中に練馬区西大泉町1179番地(広さ約1,860 ㎡)が飛び地として存在している。1974年(昭和49年)に同地を宅地造成する際、自治体間で飛び地を解消する(新座市に編入する)合意がなされたが、住民の一部が反対して現在に至る[4]。同地の公共サービスは、ゴミ収集は練馬区、上下水道は新座市側が提供している[5]。
歴史
要約
視点
もとは江戸期より存在した新座郡野方領に属する片山村で、古くは片山郷広沢荘に属したと云う。元禄郷帳には上片山村や下片山村などが記されており、元禄期ごろには片山村が上片山村他十ヶ村(片山十ヶ村)に分村したと云う[6]。地名は崖がある地形による。崖下には七沢と称する七つの沢が流れていた。
- 1590年(天正18年)より徳川氏の所領となる[6]。
- 正保年間は幕府領および旗本桜井氏・神谷氏・田中氏・荒川氏・木村氏・拓殖氏・小野氏・米津氏ら(「片山七騎」、のちに「八騎」と称される)による相給となる[6]。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により、入間県の管轄となる。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1次)と合併して熊谷県の管轄となる。
- 1875年(明治8年)4月8日 - 民費の増大のほか、同様村名が多く、各村の耕地が入り交じり実態が一村同様などの理由から[6]、野寺村、中沢村、十二天村、下中沢村(上片山村)、下片山村、石神村、原ケ谷戸村、辻村、掘ノ内村、栗原村(片山十ヶ村)が合併し、片山村が発足する。旧十ヶ村は片山村の字(小字)となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した新座郡に属す。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。片山村単独で新座郡片山村となる。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡の北足立郡への編入に伴い、北足立郡に属す。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 片山村が大和田町と合併し、新座町が成立。片山村は新座町の大字片山となる[6]。
- 1970年(昭和45年)11月1日 - 市制施行により、新座市の大字となる。
- 1971年(昭和46年)12月1日 - 大字片山の一部から栄一丁目〜五丁目、池田一丁目〜五丁目が成立[6]。
- 1972年(昭和47年)7月1日 - 住居表示の実施に伴ない[6]、大字片山の一部から片山一丁目〜三丁目が成立[7]。同日、大字片山の一部から栗原一丁目〜六丁目、道場一丁目・二丁目、野寺一丁目〜五丁目、畑中二丁目・三丁目が成立[6]。また、同日、大字片山と大字野火止の各一部から畑中一丁目の一部が成立[6]。
- 1973年(昭和48年)7月1日 - 大字片山の一部から堀ノ内一丁目〜三丁目、石神二丁目〜四丁目が成立[6]。また、同日、大字片山と大字野火止の各一部から石神一丁目・五丁目が成立[6]。
- 1974年(昭和49年)8月1日 - 大字片山の一部から馬場一丁目~四丁目が成立[6]。
- 1975年(昭和50年)8月1日 - 大字片山の一部から野火止八丁目が成立[6]。
- 1982年(昭和57年)12月1日 - 大字片山から新塚が成立[8]。大字片山が消滅[8]。
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世帯数と人口
2017年(平成29年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[9]。
交通
道路
- 東京都道・埼玉県道36号保谷志木線
- 産業道路
鉄道
鉄道空白地帯となる。西武池袋線保谷駅が距離的な最寄駅となるが、バス路線は下記駅間を結ぶものとなる。
バス
施設
- 1丁目
- 新座市立片山小学校
- 新座市歴史民俗資料館
- 2丁目
- 美鈴幼稚園
- 3丁目
- 大和田運動場
脚注
参考文献
外部リンク
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