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片島港

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片島港
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片島 港(かたしま みなと、1910年明治43年)4月9日[1][2] - 1996年平成8年)8月1日[1][2])は、日本の労働運動家、実業家政治家衆議院議員(6期)。

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片島港

経歴

宮崎県[1][2][3]東臼杵郡北郷村(現美郷町)で生まれた[4]。1934年(昭和9年)逓信官吏練習所第二部行政科を卒業した[1][2][4]

郵便局書記補、逓信属、逓信省総務局養成係長、逓信事務官などを歴任[1][2]。その後、全逓(のちの日本郵政公社労働組合)中央執行委員、全国労働組合会議組織部長、官業労働研究所理事などを務めた[1][2]

1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙宮崎県第1区から日本社会党公認で出馬して初当選[1][3]第24回第25回総選挙では落選した[5]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙で再選され[5]、その後、第30回総選挙まで当選し[6]、衆議院議員に通算6期在任した[1][2][3]。この間、衆議院逓信委員長、畑地農業改良促進対策審議会委員、国土総合開発審議会委員、社会党選挙対策副委員長、同九州開発特別委員会副委員長、同軍事基地対策委員長、同代議士会副会長などを務めた[1][2][3]。その後、第31回総選挙に立候補したが次点で落選した[7]

後に、日本通信サービス社長、通信建築研究所社長を務めた[3]

1980年(昭和55年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[8]。1981年(昭和56年)3月28日紺綬褒章受章、寄付の功績顕著として賞杯を併せて賜った[9]

1996年(平成8年)8月1日、脳梗塞のため東京都杉並区東京衛生病院で死去、86歳[10]。死没日をもって正四位に叙される[11]

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著作

  • 『社会党員の告白』労働問題研究会、1948年。

脚注

参考文献

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