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瑞光院 (長野県阿南町)
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瑞光院(ずいこういん)は長野県下伊那郡阿南町新野にある曹洞宗の寺院。山号は祥雲山。
歴史
享徳2年(1453年)、関氏2代の関盛國が、父の関盛春の菩提を弔うために、新野の北西端の「十九庵洞」の台地上にある「すいかん」に瑞光庵という草庵を建立した。
瑞光とされたのは、関盛春の法名の瑞光院殿にちなんでいると云われているが、三重県亀山市関町には、伊勢関氏本家の菩提寺である瑞光寺という古刹があり、その寺号にちなんでいるという説もある。
永正2年(1520年)3月、関盛國の子の関右馬亮春光は「すいかん」から西に800mの字・八幡原に瑞光庵を移した。当時、春光は八幡原に居を構えていたので「八幡殿」と呼ばれていた。
享禄元年(1528年)9月、春光は20歳になった嫡男の関善玉(越前)を亡くした。そこで追善供養のために梵鐘を鋳造し瑞光庵に寄進した。
享禄2年(1529年)12月、春光は新野に伽藍の改築を行って、寺号を瑞光院と改め、三河国全久院から武田信玄の叔父である光國舜玉を勧請して開山した。
関氏が下条氏に滅ぼされた後の、天正3年(1575年)に武田勝頼によって掲げられた禁制がある。
朱印 禁制 瑞光院一、寺中諸役之事
一、軍勢陣取之事
一、山林叩剪執竹木之事
巳上
右三ヶ條 於違犯之族者、可處罪科可者也 仍如件
天正三年 乙亥
武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、下条信氏は瑞光院に定書を寄せて、寺規を厳にして子孫においても退転しないように命じている。
一、右野 瑞光院 御寺中、林頭 野辺之草木一茎 茂 不可剪取之事一、司堂物、末代爲無怠轉、御利増被成候處、借用申輩 速ニ 返辨可仕事
一、奉對 瑞光院、於子孫迄 茂可奉 崇敬間、彌 造營修理 可被成之事
七月二十八日 伊豆守
淮上 信氏 (花押)
瑞光院へ
天正12年(1584年)3月、下条牛千代が、父の下条信正(法名:一無祖関居士)の菩提を弔うために、新野村の瑞光院に寄進された五貫文の土地を資とし、瑞光院の前住であった浮翁全瑳を招聘して関昌寺を開山し、三回忌にあたり伊那郡粟野村に建立した。下条氏は関氏と対立していたが、関氏を滅ぼしたのちは瑞光院を保護している。
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現在
指定文化財
阿南町指定有形文化財
交通
脚注
参考文献
外部リンク
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