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生平町
岡崎市の町 ウィキペディアから
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生平町(おいだいらちょう)は愛知県岡崎市大平地区の町名。丁番を持たない単独町名であり、34の小字が設置されている。
地理
岡崎市の地理的中央部に位置する。町内には男川が流れている。住宅地・水田が河川沿岸に形成されている。その他は基本的に森林である。町域内に小字が配されているが丁番は振られていない。
小字
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世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 470人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 468人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 439人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 463人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 477人 | [9] |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
歴史
1889年10月1日に新設合併で茅原沢村、岩戸村、古部村、才熊村、秦梨村、須淵村、生平村、切越村、蓬生村で合併し、河合村となった。そして1955年2月1日に岩津町、福岡町、本宿村、山中村、藤川村、竜谷村、河合村、常磐村の残部が岡崎市に編入された。その後、1997年6月1日に、住居表示の実施により、字西高根の一部が、茅原沢町字茅生の一部となっている。
生平町大火
1961年3月9日。この日は数日来の好天のため異常乾燥注意報が出されていた。午後1時40分頃、生平町の一角から火の手が上がり、風にあおられて次々と草屋根の家に燃え移った。消防車50台が駆けつけたが、手の施しようがなく、被災世帯37棟、被災者51名、死者1名、負傷者7名を数え、近郊農村地帯の火災では空前の大火となった。現在でもこの教訓は生かされ、生平小学校では「生平ふるさとカルタ」を詠み上げることで火災の恐ろしさを語り継いでいる[11]。
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交通
- 愛知県道37号岡崎作手清岳線(男川せせらぎ道)
- 愛知県道324号生平幸田線
施設

その他
日本郵便
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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