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生田悦子

日本の女優 ウィキペディアから

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生田 悦子(いくた えつこ、1947年昭和22年〉4月8日[1] - 2018年平成30年〉7月15日)は、日本の女優タレント。本名同じ[2]福岡県福岡市出身[2]。身長160cm(1967年1月)[2]

概要 いくた えつこ 生田 悦子, 生年月日 ...

来歴・人物

9歳の時に両親が離婚し、母方の祖父母の元で育つ[3]。16歳で元母に銀座のクラブで働かされそうになるが[3]、テレビ局のプロデューサーとの縁でモデル事務所に所属[3]1963年に準ミス平凡に入選[1][3]1966年松竹へ入社し、同年11月に映画『命果てる日まで』で女優デビュー[1][3]。以降、映画やテレビドラマで活躍。

バラエティ番組欽ドン! 良い子悪い子普通の子』(フジテレビ)の良いOL役で好評を博し[1]松居直美(当時14歳)、小柳みゆき(現・小柳友貴美、当時24歳)とともに「よせなべトリオ」の一員(当時35歳)としてヒット曲を出すなど活躍した[1]

2005年4月8日に57歳の実業家と婚姻[1]2006年12月更年期うつによる闘病生活を送っていたことを告白している[1]

特技は編み物[1]、編み物の講師の資格も持ち、1999・2008年には著書『生田悦子のおしゃれゆび編み』も出版している。

2006年1月からソルトアースに所属した[4]

白い巨塔』で共演していた田宮二郎M資金へ投資していた事を2013年の対談で告白している[5]。田宮は撮影の合間によく電話をしており、当時フジテレビの食堂にはピンク公衆電話しかなく、10円を入れなくてはならず、長く話すためにすぐに電話が切れて、苛立つ田宮に八つ当たりされながらお金を渡されては10円に両替し、大量の10円玉を持ちながら田宮の隣に立っていたため、電話の内容が良く聞こえていたという。しかし、2003年に田宮の長男がテレビで全否定し、生田の事も「大嘘だ」と批判したため、田宮やその家族の名誉のために生田は沈黙を貫くつもりだったが、田宮の長男がバラエティ番組で事あるごとに批判したために紙面による対談という形で直接長男に語りかけた。

2018年7月15日午前に就寝中の異変に夫が気づき、救急車で病院に搬送されたが、その後に息を引き取ったという。死因は虚血性心不全71歳没[6][7]

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出演

映画

  • 命果てる日まで(1966年、松竹
  • あゝ君が愛(1967年、松竹)
  • 女たちの庭(1967年、松竹)
  • 爽春(1968年、松竹)
  • 夜明けの二人(1968年、松竹)
  • こわしや甚六(1968年、松竹)
  • 天使の誘惑(1968年、松竹)
  • 白昼堂々(1968年、松竹)
  • 喜劇 大安旅行(1968年、松竹)
  • コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年、松竹)
  • いい湯だな全員集合!!(1969年、松竹)
  • 栄光の黒豹(1969年、松竹)
  • チンチン55号ぶっ飛ばせ! 出発進行(1969年、松竹)
  • 猛烈社員 スリゴマ忍法(1969年、松竹)
  • 涙の流し唄 命預けます(1970年、松竹)
  • 可愛い悪女(1971年、松竹)
  • 追いつめる(1972年、松竹)
  • 喜劇 男の子守唄(1972年、松竹)
  • 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義(1972年、東映
  • 新宿酔いどれ番地 人斬り鉄(1977年、東映)
  • ええじゃないか(1981年、松竹) *キネマ旬報ベストテン第9さ位
  • おじさんは原始人だった(1987年、にっかつ児童映画
  • 花の季節(1990年、東京ビジュアルネットワーク
  • 怖い顔(2006年)
  • 純ブライド(2006年)
  • 赤んぼ少女(2008年)
  • 破天荒力 A Miracle of Hakone(2008年)
  • ロボゲイシャ2009年

テレビドラマ

バラエティー番組

CM

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ディスコグラフィー

シングル

DVD

  • ロボゲイシャ(2010年4月7日、ポニーキャニオン)

書籍

主な受賞歴

脚注

外部リンク

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