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田中和博
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田中 和博(たなか かずひろ、1959年9月15日 - )は、福岡県大川市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
柳川商業高では、エースとして1977年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、吉竹春樹のいた九州産業高に敗退。高校同期に清家政和、野田雲平、林正毅(広島)がいた。
高校卒業後は、社会人野球のリッカーに入団し、中西清起、黒田真二らと強力投手陣を構成する。1981年の都市対抗野球では準々決勝に進出するが、東京ガスに敗退。翌1982年の都市対抗野球には東京ガスに補強され出場した。
1982年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団[1]。
ドラフト下位入団ながらかつて佐伯和司が着けていた準エースナンバーの21が与えられるも、一軍の試合では活躍できず、1987年限りで現役引退した[1]。
2006年から2008年まで、広島にあった社会人クラブチーム「広島レッドフェニックス」の投手コーチを務めた。その後2024年3月までスポーツDEPO広島八木店に勤務していた。[2]
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 21 (1983年 - 1987年)
脚注
関連項目
外部リンク
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