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田中パウロ淳一

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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田中 パウロ淳一(たなか パウロじゅんいち、1993年10月23日 - )は、兵庫県加古川市生まれ[2]、同県高砂市出身のプロサッカー選手、YouTuber、TikToker。Jリーグ栃木シティFC所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード

概要 田中 パウロ淳一, 名前 ...
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来歴

クラブ

米田SC、兵庫FC、サルパFCを経て、大阪桐蔭高校に進学。高校2年時の2011年1月にフランスへ遠征した際、元フランス代表ティエリ・アンリニコラ・アネルカらを育てた国立サッカーアカデミー元所長のクロード・デュソーの目に留まった[2]。デュソーの推薦で同年3月、リーグアン(1部)・ボルドーのトップチームに練習参加した[2]。当初は能力を高く評価されていたが、途中からドリブル一辺倒のプレーが多くなった。また、1カ月の参加予定が高校の新人戦で呼び出された為、3週間で打ち切りとなり帰国した[2]

2012年より、川崎フロンターレへ加入[3]。川崎関係者からは左足の強烈なシュートが評価され、「和製フッキだ」と期待を寄せられた[2]。同年6月30日J1第16節・ヴィッセル神戸戦で左サイドバックとしてJリーグデビューした[4]

2013年3月、海外でのプレーを希望して川崎を退団[5]。フランスを中心に[6]ドイツオランダに拠点を置いて様々なクラブのテストを受けたが、契約には至らなかった[7]

JPFAトライアウトを経て[6]2014年ツエーゲン金沢へ加入[8]。途中出場を中心に24試合に出場して、チームのJ3優勝、J2昇格に貢献した。2015年より、登録名を本名から『田中 パウロ淳一』に変更した[9]

2016年FC岐阜へ完全移籍で加入した[10][11]2017年3月4日J2第2節・名古屋グランパスとの名岐ダービーで岐阜移籍後の初得点を挙げた[12]

2019年レノファ山口FCに完全移籍[13]

2020年12月23日松本山雅FCに完全移籍[14]

2022年11月23日、松本山雅FCは契約期間の満了と来季に向けた契約更新を行わないことを発表[15]。 同年11月29日、カンセキスタジアムとちぎで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[16]。12月15日時点でも所属チームは決定しておらず、SNSを通じて「4年間怪我なしの鉄人。練習試合得点王。」というストロングポイントをアピールして話題となった[17]

2023年2月3日、地域リーグに所属する栃木シティFCに所属することが発表された[18]。すると、JFL昇格とJ3昇格に貢献した。

2025年4月15日、2月・3月のJ3リーグ月間MVP賞を受賞した[19][20]。4月に入ってからも勢いは衰えず、第8節から第11節までの4試合すべてで得点を決めた[21]

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人物・エピソード

  • 日本人の父とスペイン系フィリピン人の母との間に生まれた[22]
  • 愛称の「パウロ」は、中学校3年次の2008年秋、大阪桐蔭高校サッカー部に体験入部した際、偶然その前日のテレビ番組に元日本代表田中マルクス闘莉王の父・パウロが出演しており、同じ田中姓ということと、風貌、プレースタイルを含めて「外国人っぽい」ということで先輩に名付けられた[9][1]。高校時代にはチームメイトのみならず他校の生徒からも「パウロ」と呼ばれ[23]、プロ入り後もチームメイトからのニックネームやサポーターからのコールは「パウロ」で定着している[1]
  • 「パウロちゃんねる」という名でYouTuberとしても活動しウイニングイレブンの実況やサッカー関係の動画を上げている。同チャンネルでは、主にmakihika、梅ちゃん、辻本亮、tatsuya、からあげくんなどとコラボすることが多い。また、TikTokでも活動している。
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所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

その他の公式戦

  • 2014年
    • 石川県サッカー選手権大会 1試合0得点
出場歴
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タイトル

クラブ

ツエーゲン金沢

松本山雅FC

栃木シティFC

個人

脚注

関連項目

外部リンク

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