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田中辰次
日本のプロ野球選手 (1944-) ウィキペディアから
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田中 辰次(たなか たつじ、1944年10月27日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
興國商では同期の溜池敏隆とクリーンナップを打つ。1962年に右翼手、五番打者として夏の甲子園大阪府予選決勝に進出するが、戸田善紀、中塚政幸のいたPL学園に敗退。卒業後は社会人野球の鷺宮製作所へ入社。1966年の都市対抗では立正佼成会の補強選手として出場。二番打者として適時打を放つなどチームの初勝利に貢献、優秀選手賞を獲得した。
1965年プロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズから5位指名で入団[1]。二塁手、三塁手、遊撃手、外野手をこなすユーティリティ・プレイヤーとして、1年目に17試合、2年目に28試合に出場する。しかし打撃成績が振るわず、1967年のシーズンオフにわずか2年で引退した[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 48 (1966年 - 1967年)
脚注
関連項目
外部リンク
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