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鷺宮製作所硬式野球部
日本の社会人野球チーム ウィキペディアから
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鷺宮製作所硬式野球部(さぎのみやせいさくしょこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。
運営母体は、自動制御機器等を製造する鷺宮製作所。
概要
1958年、鷺宮製作所の硬式野球部『鷺宮製作所硬式野球部』として創部。
1969年に都市対抗野球に、1975年に日本選手権にそれぞれ初出場している。
2002年、9月限りで埼玉県狭山市を拠点に活動している『鷺宮製作所狭山硬式野球部』を解散させ、当チームに統合した[1]。
2005年、都市対抗野球の東京地区予選で東京地区第1代表決定戦に駒を進めながら、そこから5連敗を喫し本戦出場を逃した。この悔しさをバネに、同年秋の日本選手権では出場5回目にして初勝利を挙げると快進撃を続け、初のベスト4まで勝ち上がった。また、都市対抗野球では32年間本大会で白星から見放されていたが、2007年の都市対抗野球では初戦で白星を挙げると勢いに乗り勝ち進み、ベスト4まで進出した。
2009年の都市対抗野球に出場して以降は低迷が続いていた。特に2016年は、都市対抗野球の東京地区予選で2009年以来となる東京地区第1代表決定戦に駒を進めながら、そこから3連敗を喫し本戦出場を逃す結果に終わったが、2018年の都市対抗野球では東京地区第1代表として実に9年ぶりとなる本大会出場を果たしている[2]。
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設立・沿革
大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会:出場16回、4強1回(2007年)
- 社会人野球日本選手権大会:出場14回、4強1回(2005年)
- JABA東京スポニチ大会:優勝1回(2025年)
- JABA北海道大会:優勝1回(2009年)
- JABA東北大会:優勝5回(1974、1975、1987、1988、1992年)
- JABA日立市長杯選抜野球大会:優勝1回(2019年)
- JABA静岡大会:優勝1回(2014年)
- JABAベーブルース杯争奪大会:優勝1回(2022年)
- JABA四国大会:優勝1回(1972年)
- JABA新潟大会:優勝1回(1996年)
- 狭山グラウンド
- 第78回都市対抗野球大会・閉会式にて小野賞を受賞する総監督 (2007年)
- 東京ドームスコアボードに映し出された小野賞 (2007年)
出身プロ野球選手
- 田中辰次(内野手) - 1965年ドラフト5位で西鉄ライオンズに入団
- 飯塚佳寛(内野手) - 1968年ドラフト14位でロッテオリオンズに入団
- 池田弘(投手) - 1975年ドラフト6位で太平洋クラブライオンズに入団
- 黒坂幸夫(投手) - 1976年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団
- 山本良材(投手) - 1976年ドラフト6位で阪急ブレーブスに入団
- 内田直二(捕手) - 1988年ドラフト外で日本ハムファイターズに入団
- 太田貴(投手) - 1988年ドラフト外で阪神タイガースに入団
- 市川友也(捕手) - 2009年ドラフト4位で読売ジャイアンツに入団
- 野川拓斗(投手) - 2015年ドラフト7位で横浜DeNAベイスターズに入団
- 赤間謙(投手) - 2015年ドラフト9位でオリックス・バファローズに入団
- 小孫竜二(投手) - 2022年ドラフト2位で東北楽天ゴールデンイーグルスに指名
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元プロ野球選手の競技者登録
かつて在籍した主な選手・コーチ・監督
鷺宮製作所狭山硬式野球部
鷺宮製作所狭山硬式野球部(さぎのみやせいさくしょさやまこうしきやきゅうぶ)は、埼玉県狭山市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2002年9月に解散した。
運営母体は、自動制御機器等を製造する鷺宮製作所。
概要
1992年、鷺宮製作所の狭山事業所を拠点に『鷺宮製作所狭山硬式野球部』として創部。
仕事優先で練習は夜間に限られていた中で[3]、2000年に創部9年目にして日本選手権に初出場を果たした[3]。
2002年9月30日をもって解散し、東京都を本拠地に活動している本社チームの『鷺宮製作所硬式野球部』に統合された[1]。狭山市内の合宿所と練習グラウンドは、東京チームと共用であった。
設立・沿革
大会の出場歴・最高成績
- 社会人野球日本選手権大会:出場1回
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脚注
関連項目
外部リンク
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