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1965年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)
1965年に日本で行われたプロ野球ドラフト会議 ウィキペディアから
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1965年度新人選手選択会議(1965ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は、1965年11月17日に日比谷日生会館で行われた第1回のプロ野球ドラフト会議である。
概要
- 球団は連盟に獲得希望選手名簿を提出。名簿内では希望順に1番から12番も記載(プロ野球ドラフト会議#ドラフト制度の変遷も参照)。
- 1位指名選手限定で、希望順1番が他球団と重複でなければ指名交渉権確定。重複した場合は抽選。
- 抽選で外れた場合は希望順2番、駄目なら3番と進行・・・以下、再度の重複があればその度に抽選。
- 2位以下の指名選手はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を採用。
- ウェーバー方式による指名順は近鉄 - サンケイ - 東京 - 広島 - 阪急 - 大洋 - 西鉄 - 阪神 - 東映 - 中日 - 南海 - 巨人
- 指名選手数は1球団30名まで。
- 全12球団が参加し、合計で132人の選手を指名した。しかし、後述のように意中の球団とは異なる球団から指名されたことや野球活動終了後の安定した暮らしを目的として社会人野球行きを望んでいることを理由とした入団拒否、選手を指名したにもかかわらず球団自ら入団交渉を行わなかったケースが相次ぎ、その結果、実際に指名球団に入団したのは全体の半分以下となる50人(入団率約37.9%)だけだった[1]。
- サンケイは11人指名したが、入団にまで至ったのは2人だけだった[1]。特に1位指名を受けた河本和昭は入団拒否。プロ野球史上初の1位指名選手の入団拒否である。
- 広島が18位まで指名したのに対し、南海は4位で指名終了するなどチームにより指名選手の数に大きな差があった。
- 西鉄は16位まで指名したが、そのうち13人が入団を拒否した(球団が指名後交渉せず、そのまま交渉権失効となった選手を含む)。
- 中日が10位指名した松井猛は、過去にプロ経験があり(大毎に2年間在籍)、柳川事件直前にアマ復帰している。プロ野球(NPB)経験者が唯一ドラフト指名された例である(現在の制度では、アマ復帰した元プロ選手のプロ復帰時にはドラフトにかける必要がない)。
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選択希望選手一覧
- 太字は交渉権確定、色付きの選手は指名が重複した選手。
- 2巡目以下は矢印の向きの順に指名。
- 背景色が暗い選手は、入団に至らなかった選手(球団が入団交渉の着手をしなかった場合を含む)。
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球団別選択選手
要約
視点
拒否については、球団が指名した後に交渉を実施せず、そのまま失効(事実上の交渉権放棄)となった選手についても便宜上含める。
近鉄バファローズ
サンケイスワローズ
東京オリオンズ
広島カープ
阪急ブレーブス
大洋ホエールズ
西鉄ライオンズ
阪神タイガース
東映フライヤーズ
中日ドラゴンズ
南海ホークス
読売ジャイアンツ
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脚注
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