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田子冬樹
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田子 冬樹(たご ふゆき、1947年1月19日 - )は、新潟県出身の元騎手・調教助手・元調教師。
来歴
1965年に東京・稲葉幸夫厩舎にの騎手候補生として入門し、1970年には騎手免許を取得すると、同厩舎からデビュー。
1年目の1970年は3月1日の東京第8競走5歳以上250万下・プルードターフ(18頭中17着)で初騎乗[1]を果たすが、同競走でデビューした鎌田祐一が初騎乗初勝利を達成している[2] [3]。9月23日の新潟第4競走アラブステークス・リキショウで初勝利[4]を挙げ、11月3日の新潟では初の1日2勝[5]を記録するなど、1年目の同年は6勝[6]に終わったが、6勝中5勝は秋の地元新潟戦で挙げた[7]。
2年目の1971年には夏の新潟で7月3日・4日に初の2日連続勝利[8]を記録するなど6勝[9]、秋は福島で4勝[9]を挙げ、初の2桁勝利となる12勝[6]をマーク。
3年目の1972年には福島戦11勝・新潟戦5勝[10]の17勝をマークしたが、結局この年が自己最多で最後の2桁勝利となった[6]。
1972年には日本最初の会員制愛馬会法人として開業した友駿ホースクラブ初期の代表馬であるシカゴの主戦騎手を務め[11]、OP特別3勝を含む6連勝[11]と活躍し、9月3日の新潟第3競走3歳オープンはクラブの初勝利[12]となったほか、1973年には関屋記念で5着に入った[11]。
1975年には11月15日の福島第3競走3歳未勝利をディアマンテ[13]、福島3歳ステークスをムサシダケで勝利[14]。
1980年に元石孝昭厩舎に移籍し、1981年には不良馬場の新潟大賞典を9番人気のタケデンでジュウジアロー・フジマドンナに次ぐ4着[15]、1982年の4歳牝馬特別(西)では千代田牧場のスペースシャトル[16]で18頭中15番人気であわや掲示板の6着[17]と健闘。
1983年2月13日の東京第3競走4歳400万下をリュウファーロス産駒の青森産馬タケデンダンディで勝利したのが最後の勝ち星となり、同馬に騎乗した4月16日の中山第9競走菜の花賞(10頭中7着)を最後に現役を引退[18]。
引退後は元石厩舎の調教助手を経て、1985年に調教師免許を取得。
1986年、厩舎を開業。3月に管理馬を初出走させ、7月にのべ38頭目で管理馬が初勝利を挙げた。
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記録
調教師
中央競馬
地方競馬
- 主な管理馬
厩舎スタッフ
- 江田照男(騎手)
かつて厩舎に所属していた江田を騎手に起用することが多く、管理馬の重賞競走通算6勝はすべて江田が騎乗していた。
関連項目
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