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甲波宿禰神社 (渋川市川島)

渋川市川島にある神社 ウィキペディアから

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甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ)は、群馬県渋川市川島にある神社。祭神は速秋津彦神速秋津姫神[1]上野国群馬郡式内小社。旧社格は郷社

概要 甲波宿禰神社, 所在地 ...

由緒

宝亀2年(771年)9月29日に創祀されたと伝わる[2]

当社の社記によれば、箱島村(現・東吾妻町箱島)の甲波宿禰神社、祖母島村(現・渋川市祖母島)の宿祢神社(現・武内神社)、湯上村(現・渋川市行幸田)の甲波宿禰神社は、文安年間(1444年 - 1449年)に当社から分祀されたものという[3]

「甲波」を川、「宿禰」を「直根」として「川の本流」を意味する社名と解し、吾妻川沿いの箱島・祖母島・川島と「島」のつく地に3社が並んでいたことから、吾妻川を神格化したものと尾崎喜左雄は説明している[4]

天明3年(1783年)7月に浅間山噴火で社殿が流失するが、天明5年(1785年)9月19日に現在地に再建される[5]。本殿は天明年間、拝殿は棟札から弘化2年(1845年)の建築とみられる[6]

江戸時代には光明寺という修験寺院が別当寺として存在したが、明治維新後に廃寺となった[7]

社格

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拝殿の扁額
  • 承和13年(846年)8月 - 従五位下(甲波宿禰神)[8][2]
  • 嘉祥3年(850年)12月 - 官社[9][2]
  • 貞観9年(867年)6月10日 - 従五位上(甲波宿禰神)[10][2]
  • 貞観11年(869年)12月25日 - 正五位下(甲波宿禰神)[11][2]
  • 貞観18年(876年)4月10日 - 正五位上(甲波宿禰神)[12][2]
  • 元慶4年(880年)5月15日 - 従四位下(甲波宿禰神)[13][2]
  • 永仁6年(1238)以前 - 従一位甲波宿祢神)(『上野国神名帳一宮本)[14]
  • 寛政5年(1794年)8月26日 - 正一位(甲波宿禰大明神)(宗源宣旨[2]
  • 明治13年(1881年)5月 - 郷社[15][2]
  • 明治42年(1909年)2月27日 - 神饌幣帛料供進神社[15][2]
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祭神

主祭神

合祀

  • 大山祇神
  • 誉田別神
川島村字西大塚の無格社・八幡社に祀られていた祭神。明治11年に氏子が提出した「神社保存願」が承諾され合祀を免れたが、明治40年7月に合祀した[16]

配祀

境内社

摂社

  • 諏訪神社
(主祭神)建御名方神八坂刀売神
天明3年の浅間山噴火の泥流により、字舞台から現在地へ甲波宿禰神社と共に遷座した。「川島の獅子舞」は、諏訪神社の神事である[17][18]
  • 神明社
(主祭神)天照大御神
天神原に鎮座していた「伊勢社」が、「神明社」として遷座した[19]

末社

文化財

渋川市指定重要文化財

  • 甲波宿禰神社の算額(昭和50年1月30日指定)[20] - 幅190センチメートル、高さ80センチメートルの大きさで、安政3年(1856年)に利根郡筑地村(現・片品村)出身の千明慶悦が奉納したもの。算額の内容は、代数を使い直角三角形の底辺の長さを算出している[21]

渋川市指定重要無形文化財

  • 川島の獅子舞(昭和47年10月20日指定) - 川島獅子舞保存会によって演じられる、悪魔退散・無病息災・五穀豊穣を祈願する神事。境内社の諏訪神社の例祭(10月上旬)に奉納される[20]。天明3年(1783年)の浅間山噴火により中断したとみられるが、現存する獅子頭保存箱には天保4年(1833年)の紀年がありこの頃には再興されたとみられる。腰太鼓を胴につける一人立ち形式で、獅子頭は雄獅子(ほうがん)、雌獅子、子獅子の3頭から成る[22]

交通

脚注

参考文献

関連項目

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