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申台龍
韓国のサッカー指導者、元選手 (1970-) ウィキペディアから
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申 台龍(シン・テヨン、신태용、1969年5月26日 - )は、韓国の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー韓国代表監督、インドネシア代表監督を歴任。現役時代のポジションはMFで、主に中盤の攻撃的な位置からのゲームメイクを担当した。
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経歴
要約
視点
選手
プロとしてのキャリアのほとんどをKリーグ・城南一和天馬でプレー、同クラブの6回のKリーグ優勝とアジアクラブ選手権の制覇など、多くのタイトルの獲得に貢献しその黄金時代を築いた。 また、その間自身も計7回Kリーグのベストイレブンに選出され、また2度最優秀選手にも選ばれている。しかし、韓国代表での活躍はクラブでの活躍には及ばずワールドカップ出場も果たせなかった。 2005年にはオーストラリアのAリーグ、クイーンズランド・ロアーFCに移籍するがシーズン前に怪我をし、それが原因で同年引退した。
指導者
2004年、クイーンズランド・ロアーFCでコーチとして活動した。
2008年12月1日、金學範監督の後任としてKリーグの城南一和天馬で監督代行を務めた。
2009年のシーズン序盤は波に乗れなかったものの、徐々に軌道に乗りKリーグ4位で初年度を終える。そして上位6球団が進出するプレーオフで仁川ユナイテッドFCと全南ドラゴンズ、浦項スティーラースを次々と撃破し、リーグ戦を1位で終えた全北現代モータースとチャンピオン決定戦で激突した。ホームでは0-0で引き分け、第2戦で1-3のスコアで完敗を喫し、優勝はならなかった。この時、出場停止でベンチに座ることができない試合でも、観客席から無線機を使用し選手たちを指揮して好成績を収めたいわゆる"無線機マジック"が話題になった。
2010年2月、城南一和天馬の正式監督に就任した。チームの予算削減で2009シーズンよりチームの戦力が弱くなった状態でAFCチャンピオンズリーグとリーグを並行しなければならないことを懸念する見方が多かったが、ACLのグループリーグを1位で通過してKリーグでも上位の成績を出した。ガンバ大阪、水原三星ブルーウィングス、アル・シャバブを次々に破ってチームを決勝に進出させ、3人の主力選手が欠場した決勝戦でゾブ・アハンを3-1で破り優勝し、史上初の選手と監督両方でのACL優勝を達成した。2012年シーズン終了後、12位に終わった成績不振の責任を取って城南の監督を辞任した。
2014年9月、韓国代表の監督代行としてベネズエラ、ウルグアイとの親善試合で指揮を執った。同月、ウリ・シュティーリケが韓国代表の監督に就任すると、申台龍も代表チームのコーチとなった。2016年、リオデジャネイロオリンピックに出場したU-23サッカー韓国代表の監督、2017年には自国開催となるFIFA U-20ワールドカップに出場したU-20サッカー韓国代表の監督を歴任した。
2017年7月、ウリ・シュティーリケの後任としてサッカー韓国代表の監督に就任した。
2018年7月、FIFAワールドカップ終了後に退任した。
2019年12月28日、インドネシア代表の監督に就任[1]。
2026 FIFAワールドカップ・アジア予選では3次予選に進み、2024年11月19日の第6節サウジアラビア代表戦では2-0で勝利を収め、グループCで3位につけて本戦出場の可能性を残した一方で、国内組の若手選手主体で臨んだ2024 ASEANチャンピオンシップではグループステージ敗退に終わった。
2025年1月6日、インドネシアサッカー協会 (PSSI) は申台龍の解任を発表した[2][3]。
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所属クラブ
寧海初等学校
慶北大学校師範大学付設中学校
大邱工業高校
嶺南大学校
- 1992-2004
一和天馬/天安一和天馬/城南一和天馬
- 2005
クイーンズランド・ロアーFC
個人成績
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 24試合 3得点(1992年-1997年)[4]
指導歴
タイトル
個人
クラブ
- 城南一和天馬
- Kリーグ 優勝 6回 (1993年, 1994年, 1995年, 2001年, 2002年, 2003年)、準優勝 1回 (1992年)
- 韓国FAカップ 優勝 1回 (1999年)、準優勝 2回 (1997年, 2000年)
- Kリーグカップ 優勝 3回 (1992年, 2002年,2004年)、準優勝 2回 (1995年, 2000年)
- 韓国スーパーカップ 優勝 1回 (2002年)、準優勝 1回 (2000年)
- アジアクラブチャンピオンシップ 優勝 1回 (1996年)、準優勝 1回 (1997年)
- AFCチャンピオンズリーグ 準優勝 1回 (2004年)
- アジアスーパーカップ 優勝 1回 (1996年)
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脚注
外部リンク
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