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矢部定清
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矢部 定清(やべ さだきよ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。
略歴
矢部氏は駿河国有渡郡矢部の武士。戦国時代には同国守護の今川氏に仕え、定清も最初は今川氏真に仕えた[1]。
天正18年(1590年)関東に転封された徳川家康に仕官し、武蔵国荏原郡に知行を与えられ、文禄元年(1592年)からは家康の嫡男・秀忠の配下となる。慶長元年(1596年)細工頭となり同心5人、慶長6年(1601年)上野国緑野郡に加増され同心7人、慶長14年(1609年)所領を下総国千葉郡にまとめられて440石となった。慶長19年(1619年)からの大坂の陣にも参陣した。元和8年(1622年)に死去[1]。
脚注
参考文献
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