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石川顯
日本のアナウンサー ウィキペディアから
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石川 顯(いしかわ あきら、1941年8月3日 - )は、日本のアナウンサー[1]、スポーツ評論家[1]。石川 顕とも表記。
神奈川県横須賀市出身。TBS[注釈 1]アナウンサーを経て、フリーアナウンサーとなる。キックボクシング選手の沢村忠の決め技「真空とびひざげり」の命名者[1]。
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来歴・人物
横須賀市立田浦小学校卒業。鎌倉学園高等学校卒業。元々は教員志望だったが[2]、早稲田大学教育学部卒業[3]後、1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)[4][5]。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、報道局ニュース部(1965年6月)、ニュース取材部(1965年12月)、報道局運動部兼ニュース取材部(1966年7月)、報道局運動部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部(1970年7月)、アナウンス室兼テレビ本部第二制作局スポーツ部(1979年12月)、アナウンスセンター兼スポーツ局(1991年5月)に配属される[6]。
主にスポーツ中継[7][6](野球[7][6]、キックボクシング[7][6]、ボクシング[6]、モーター[6]、綱引き[6]、バスケットボール[6]、アメリカンフットボール[6])を担当(スポーツ実況は、1967年より[8])し、また、1984年7月にはロサンゼルスオリンピックのテレビを担当[6]。全日本綱引選手権大会をTBSで初めてTV中継した際には「綱引きの中継なんてどうやってやればいいんだろう?」と戸惑ったという事を話している。2001年8月に定年退職[7][6]。その後、フリーのスポーツアナウンサーやTBSアナウンススクールで非常勤講師として活動している。また、スポーツ評論家や大学講師(文教大学や関東学院大学他、国外の大学)としても活動している[1]。
プロ野球の試合が長引き、7時間を超えるラジオ中継となった試合の実況を担当しており、試合の途中(6時間以上経過)に実況担当アナウンサーがトイレのために中座するという、前代未聞の事態になったことがある。(代理実況アナウンサーは武方直己、解説は田淵幸一) なお、石川は解説の田淵に代理実況を託してトイレに行った[1]。
キックボクシングのテレビ中継においては14年も続き、その間に独学したタイ語と渡航歴200回以上から英語も堪能[1]。
生まれた頃より、一貫して横須賀市に住んでおり、TBS在籍当時は第一カッター興業監査役も務めて第一カッター興業の上場にも貢献したり[1]、自宅から仕事場へ通っていた[8]。TBSへの入社動機も、長男であり離れられないことと愛着があるためであった[8]。また、横須賀親善大使も務めた[1]。
大学では放送研究会と早大ハイソサイエティオーケストラの掛け持ちで所属し、司会者兼パーカッションを担当[1]。
TBSに入社する際、大学3年時にはTBSアナウンス部長からスカウトをされた[1]。
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交友関係
関連情報
出演番組
※特記なきものは、実況(ないしはリポーター)担当。
TBS時代
- テレビ番組
- JAPAN MAJOR BASEBALL
- 『スーパーボウル』(? - 1988年)や『リコー・ジャパンボウル』などのアメリカンフットボール中継
- TWWAプロレス中継(国際プロレス中継)
- 超人!コロシアム(競技実況)
- プロボクシング中継
- スポーツデスク(1976年)[7][6]
- バレーボール世界選手権(1998年男子大会、日本戦の一部と決勝戦を担当)
- ラジオ番組
- TBSラジオ ザ・ベースボール
- パックインミュージック(1970年10月 - 1971年3月に土曜、1971年4月 - 1972年3月に火曜をそれぞれ担当)[6]
- サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」をBGMに、円谷幸吉選手の遺書を朗読するなど、スポーツアナならではの企画を展開していた。
フリー
- テレビ番組
イベント
- プロ野球マスターズリーグでの場内進行
ビブリオグラフィ
著書
- プロアナウンサーの「伝える技術」(2011年3月、PHP研究所〈PHP新書〉)ISBN 4569795501 - 「石川顕」名義。
脚注
参考文献
外部リンク
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