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石田博三
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 2023年4月30日[1])は、日本のプロ野球選手。滋賀県草津市[2]出身。
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経歴
滋賀県立大津東高等学校(1956年4月に膳所高等学校に改称)では投手として活躍[3]。2年生の時、1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商の安井勝(立大 - 丸善石油)と投げ合うが、延長10回裏にサヨナラ負けを喫する。同年夏は京滋大会決勝に進むが平安高に惜敗。翌1957年夏も京滋大会決勝で平安高に再度敗退し、甲子園出場を逸する。高校同期に三塁手の金村清がいた。
1958年に大阪タイガースに入団[2]。高校時代に腰を痛めており、入団後すぐに投手から外野手に転向[3]。同年はウエスタンリーグで打点王を獲得した[3]。その後は外野の控えとしてベンチ入りすることが多かった。1963年には自己最多の39試合に出場、うち9試合に左翼手、中堅手として先発する。同年8月15日の対国鉄戦(東京)で、田所善治郎から初本塁打を放った[3]。翌1964年オフに引退[3]。
引退後は、スポーツ用品店などに勤務していた[3]。1979年に、コーチ補佐として現場復帰[3]。コーチ補佐は一年で退任し、以後フロント入り。選手の年俸の査定資料作成を行う査定担当となり[3]、管理部長まで昇進した。2002年末に、退職した[3]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 38 (1958年 - 1960年)
- 6 (1961年 - 1964年)
- 74 (1979年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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