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神部為蔵

日本の実業家、政治家 ウィキペディアから

神部為蔵
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神部 為蔵(かんべ ためぞう、1864年3月18日元治元年2月11日[1]) - 1947年昭和22年)1月31日[2])は、日本の実業家政治家土木技師憲政会立憲民政党所属の衆議院議員

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

相模国高座郡本郷村(現神奈川県海老名市)で、池亀五兵衛の二男として生まれ、神部マスの養子となる[3][4]海軍計吏となり横須賀鎮守府在勤、さらに練習艦「館山」乗組みとなる[3]1889年明治22年)7月、神奈川県庁に転じ同県技手に任官し、酒匂川の増水破堤改築工事に従事[3]1902年10月、北海道庁技手に転じ、1906年1月まで在任した[3][注 1]

その後、上川郡鷹栖村近文(その後東鷹栖町を経て現旭川市)で牧畜業を経営し、さらに土木建築請負業を行う[3]滝川町会議員、北海道会議員、滝川興産取締役、新十津川酒造取締役、大正製薬社長、滝川市場社長、空知管内地主連合会長、空知畜産組合顧問などを務めた[2]

1923年大正12年)の衆議院補欠選挙では次点となったが、翌1924年5月の第15回衆議院議員総選挙で北海道第7区から憲政会所属で出馬し当選[2]。以後、第17回総選挙まで連続3回の当選を果たし[2]、滝川-富良野間の鉄道建設などに尽力した[6]

1932年昭和7年)に行われた第18回衆議院議員総選挙で落選し、政界から一度は引退するものの、1935年に滝川町長に就任、1943年まで町長職を務める[6]。この間1938年には北海道人造石油滝川工場を誘致するため手腕を振るい、短期間に用地買収を行った[5][注 2]

趣味は書道で、「湖東」の雅号を用いていた[6]

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注釈

  1. 滝川町史によれば、1890年7月に海軍を退官し、1897年に神奈川県の技手に転じ、1902年10月に北海道庁技手となり1905年4月に空知大橋建設の監督として滝川に赴任した後、1906年12月の竣工とともに滝川に居を構えたとある[5]
  2. 滝川市郷土館には、この時の工場敷地買収関係書類などが保存されており、2013年2月に化学遺産に認定されている[7]

出典

参考文献

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