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種田訓久
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種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 2014年1月14日[1])は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)。
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来歴・人物
1949年、京都市立第一工業学校(現洛陽工業高校)卒業後に南海ホークスにテスト生として入団[2]。高校時代のチームメイトに、後に南海でもチームメイトとなる岡本伊三美がいる。1951年は、南海土建に出向し社会人野球でもプレーした。
1952年6月26日の近鉄戦(彦根球場)で関根潤三から自身のプロ初安打となる先頭打者ホームランを放った(この記録は、それから60年後の2012年9月29日に宮﨑祐樹〈オリックス〉がロッテ戦〔京セラドーム〕で藤岡貴裕からプロ初安打となる先頭打者ホームランを放つまで出なかった[3])。しかし、南海時代には蔭山和夫,森下正弘、1955年に移籍した東映時代には浜田義雄,西江一郎,石原照夫の控えに甘んじ、代打や守備固めでの出場が主だった。1956年に現役を引退。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 22(1949年。当時の南海は二軍番号制を敷いていた)
- 45(1950年)
- 13(1952年 - 1954年)
- 5(1955年 - 1956年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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