トップQs
タイムライン
チャット
視点

竹下内閣

日本の内閣 ウィキペディアから

竹下内閣
Remove ads

竹下内閣(たけしたないかく)は、前自由民主党幹事長衆議院議員及び自由民主党総裁竹下登が第74代内閣総理大臣に任命され、1987年(昭和62年)11月6日から1988年(昭和63年)12月27日まで続いた日本の内閣

概要 竹下内閣, 内閣総理大臣 ...

概要

2024年10月14日現在、戦後の山陰地方出身者による政権は竹下内閣と石破内閣のみである。

内閣の顔ぶれ・人事

要約
視点

国務大臣

さらに見る 職名, 氏名 ...

内閣官房副長官・内閣法制局長官

さらに見る 職名, 氏名 ...

政務次官

  • 1987年(昭和62年)11月10日任命。
さらに見る 職名, 氏名 ...


Remove ads

勢力早見表

  • 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
  • 太字は自民党総裁並びにいわゆる自民党三役
  • 内閣官房副長官(政務)は政務次官に含む。
さらに見る 名称, 勢力 ...

首班指名投票

第110国会
1987年11月6日
竹下登(自由民主党)-299票土井たか子日本社会党)-145票、塚本三郎民社党)-27票、宮本顕治日本共産党)-26票、無効票-1票[注釈 5]
竹下登(自由民主党)-143票、土井たか子(日本社会党)-72票、宮本顕治(日本共産党)-15票、塚本三郎(民社党)-12票、白票-4票[注釈 6]

内閣の動き

竹下を後継総裁に指名した中曽根裁定の経緯と、竹下派河本派の良好な関係により、自由民主党の5大派閥がすべて主流派に取り込まれたため、結党以来初めての党内非主流派を閣僚にもたない総主流派内閣となった。

目玉政策としてふるさと創生事業を打ち出し、改造内閣の時期を含めて総額一律一億円を使途無限定で各市区町村に交付した。

前内閣時に野党の強い反対をかわして路線決定されていた少額貯蓄非課税制度(マル優)の対象者限定は本内閣のもとで実施された。またリクルート事件問題化の逆風のさなかに不評な消費税法案を提出し、法案責任者の大蔵大臣が事件引責辞任し首相が蔵相を兼任する中で法案を成立させた。法案成立直後に内閣改造。

注釈

  1. 1988年(昭和63年)12月9日リクルート事件により引責辞任。
  2. なだしお事件により引責辞任。
  3. 日中戦争支那事変)を巡る発言により引責辞任。
  4. 福島県知事選挙出馬を表明し、辞任。
  5. 無効票は、田川誠一

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads