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フランキー堺

日本のコメディアン・俳優 ウィキペディアから

フランキー堺
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フランキー堺フランキーさかい[3][4]1929年昭和4年〉2月13日[3][5] - 1996年平成8年〉6月10日[5]は、日本コメディアン俳優ジャズドラマー司会者。

概要 フランキー堺, 本名 ...

鹿児島県鹿児島市出身[3][6]。本名は堺 正俊さかい まさとし慶應義塾大学法学部卒業。

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来歴・人物

要約
視点

鹿児島市車町(現在の上本町の一部)出身[1]。父親は鹿児島の士族家系の出身。明治大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曾我廼家五九郎とは親戚に当たる。

小学校在学中はボーイソプラノの歌い手として注目され、合唱団としてNHK鹿児島放送局のラジオ番組に出演した。

一家で東京市大森区池上へ引越し、池上第二小学校[7]、私立麻布中学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。中学時代の同級生には小沢昭一加藤武が、他の同級生にはなだいなだ内藤法美仲谷昇大西信行らがいた[8]

1946年8月のバレエ白鳥の湖」日本初演(第一次東京バレエ団)では男性ダンサーが足りず立ち役は早稲田、慶應、上智の各大学の演劇部の学生が演じ、慶應大の学生だった堺も出演している。

大学時代から進駐軍のキャンプでバンド「シックスレモンズ」のジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。芸名のフランキーは、進駐軍相手に演奏を行うため通りがいいように名付けた。1954年にフランキー堺とシティ・スリッカーズを結成して、スパイク・ジョーンズをまねた冗談音楽を演奏[9]築地のクラブで演奏していると、俳優伴淳三郎と知り合い、念願の役者へ。

後に映画へ進出し、『幕末太陽傳』や『駅前シリーズ』などに出演[3]。幕末太陽傳での左平次の演技が決定打となって、1957年ブルーリボン賞主演男優賞を受賞する[9][3]。ブルーリボン賞受賞の弁では「今撮影している映画(『母三人』1958年公開)は、笑わせ役者から泣かせ役者に踏み出す第一歩です」と抱負を語った[9]

堺は、花形ジャズマンでもあったリズム感覚と明晰な頭脳を生かしたスラップスティック演技は超一流といわれ、小沢は堺を「やらせたら、あんなにおかしいことができる人は他にいないでしょうね。その技芸は一番ですよ」とコメントし[10]、初対面の小林信彦にも「ピエール・エテックスの喜劇『女はコワイです』のギャグを数えたら六十ありましたが、僕が使えるのは五十四ですかね」と切り出す[11]など今も輝かしい才気が語り伝えられているが、堺もこのコメントあたりからスラップスティック・コメディアンから人情喜劇役者への転身が始まる。特に東宝から松竹へ移った辺りからは、芸名のようなフランキーな持ち味は控えられるようになった。

BC級戦犯の悲劇を描いた『私は貝になりたい』、人情派検事の奮闘を描いた『赤かぶ検事奮戦記』などの社会派ドラマ、『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで幅広く活躍した[3][4]。『モスラ』の監督を務めた本多猪四郎は堺の演技について、熱心に役に取り組んでおり非常にやりやすかったと述べている[12]

朝日放送クイズ番組霊感ヤマカン第六感』では野末陳平の後任として2代目司会者を務め、軽妙かつ温厚な司会ぶりで視聴者に親しまれた。

多額の私財を投じて東洲斎写楽の研究を行っていたことでも有名である。1995年篠田正浩監督映画『写楽』では、企画総指揮・脚色を務め、版元蔦屋重三郎役を自ら演じた。これは、『幕末太陽傳』で堺を主演に起用した川島雄三監督が「次回作はフランキー堺主演で写楽を撮る」と告げたまま急死してしまったため、その遺志を継いで30年後に完成させたものだった。また、同じく写楽の映画を撮ることを念願としていた巨匠・内田吐夢とも意気投合したが、内田も夢を果たせずに没した[8]

落語家8代目桂文楽に入門しており、噺家として桂文昇の名を持っていた。

1967年から大阪芸術大学で演劇論を講じ、1974年より大阪芸術大学舞台芸術学科の教授に就任し学科長も務めた[8]1994年紫綬褒章を受章。

1996年6月7日未明に大阪市のホテルで吐血して緊急入院、6月10日午後11時2分、肝不全のため東京都港区済生会中央病院で死去した。67歳没[2]

『モスラ』で共演した小泉博は堺の死について、「ショックでした」と語っている[13]

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親族

堺の長男は和久峻三の娘と、次男は福澤諭吉の曽孫の娘とそれぞれ結婚している[14]

受賞

出演作品

映画

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『地下から来た男』(1956年)
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幕末太陽傳』(1957年)
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私は貝になりたい』(1959年)

テレビドラマ

テレビアニメ

劇場アニメ

バラエティ

ラジオ

  • フランキーのさわやかジョッキー(文化放送
  • フランキー堺のフランキー夜話(ニッポン放送)- パーソナリティ

CM

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NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度/放送回, 曲目 ...

著書

  • 内村直也編『現代テレビ講座 第2巻 テレビタレント篇』ダヴィッド社、1960年(「テレビ演技の実際」を収録)
  • 『フランキー太陽伝』報知新聞社、1969年(巻末に自伝「ぼくの『ドラムとドラマ』」を収録)
  • 『(フランキー堺の)男性諸君―独断と偏見に満ちあふれたお喋り集』ルック社、1975年
  • 『写楽道行』(SF時代小説)ISBN 4163088806 ISBN 4167507013
  • 『芸夢感覚―フランキー人生劇場』(自伝的エッセイ集)ISBN 4087740412
  • 『写楽を探せ―謎の天才絵師の正体』(アンソロジー)ISBN 4881351680
  • 『俳句のゆたかさ―森澄雄対談集』(対談「遊びの精神」を収録)ISBN 4023305685
  • 『(著名人が語る〈学びのヒント〉 第5巻)創るよろこび』(「劇的生活」を収録)ISBN 4897847524

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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