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茨田郡
日本の大阪府(河内国)にあった郡 ウィキペディアから
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茨田郡(まったぐん)は、かつて河内国・堺県・大阪府にあった郡。

郡域
歴史
要約
視点
古代
『播磨国風土記』に「河内国茨田郡の枚方の里」の記述が見える。大宝2年(702年)頃に交野郡が分置された。「まんだ(まむた)のこおり」とも呼ばれた。
式内社
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。○は村内に寺社除地[2]が存在。なお旧高旧領取調帳では高槻藩所領(永井飛騨守知行所)が伊加賀村、枚方村、泥町村の3村にあったと記載しているが、「大阪府全志」などではこれらもすべて高槻藩預地だったとする[3]。(1町83村)

- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年
- 明治4年
- 明治7年(1874年)1月22日 - 大区小区制の堺県での施行により、河内国第2大区・河内国第3大区となる。
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての茨田郡が発足。三矢村の浄念寺に「枚方郡役所」が設置され、交野郡・讃良郡とともに管轄。枚方郡役所はまもなく改称して「茨田交野讃良郡役所」となる。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治16年(1883年)(1町78村)
- 南十番村・北十番村・大庭八番村・下島村が合併して八雲村となる。
- 池田下村・池田中村・池田川村が合併して池田村となる。
- 明治18年(1885年)(1町75村)
- 大枝村・馬場村・世木村が合併して高瀬村となる。
- 南寺方村・北寺方村が合併して寺方村となる。
- 明治19年(1886年)(1町69村)
- 大庭三番村・大庭四番村・大庭六番村が合併して大日村となる。
- 門真一番上村・門真一番下村・門真二番村・門真三番村・門真四番村が合併して門真村となる。
- 大庭一番村・大庭二番村・大庭五番村が合併して佐太村となる。
- 讃良郡御領村・太子田村の所属郡が本郡に変更。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足。(2町13村)
- 枚方町 ← 枚方村、三矢村、泥町村、伊加賀村、岡村、岡新町村(現・枚方市)
- 蹉跎村 ← 中振村、出口村、走谷村(現・枚方市)
- 友呂岐村 ← 太間村、郡村、三井村、田井村、木屋村、平池村、石津村(現・寝屋川市)
- 九個荘村 ← 高柳村、池田村、葛原村、大利村、神田村、対馬江村、黒原村、仁和寺村、点野村(現・寝屋川市)
- 庭窪村 ← 佐太村、大日村、大庭七番村、八雲村、東村、北村、藤田村、金田村、梶村(現・守口市)
- 大和田村 ← 横地村、常称寺村、野口村、打越村、北島村(現・門真市)
- 四宮村 ← 上馬伏村、下馬伏村、上島頭村、下島頭村、巣本村、岸和田村(現・門真市)
- 南郷村 ← 赤井村、御領村、氷野村、太子田村、諸福村、新田村(現・大東市)
- 二島村 ← 三ツ島村、稗島村(現・門真市)
- 門真村 ← 門真村、桑才村(現・門真市)
- 今津村 ← 今津村、三組新田(現・大阪市鶴見区)
- 古宮村 ← 浜村、下村、安田村、焼野村(現・大阪市鶴見区)
- 諸堤村 ← 諸口村、横堤村、三島新田(現・大阪市鶴見区)
- 三郷村 ← 高瀬村、東橋波村、西橋波村、寺方村(現・守口市)
- 守口町 ← 守口町、土居村(現・守口市)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「茨田交野讃良郡役所」が管轄する各郡の区域をもって北河内郡が発足。同日茨田郡廃止。
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行政
- 枚方郡長→堺県茨田・交野・讃良郡長[4]
- 大阪府茨田・交野・讃良郡長[4]
脚注
参考文献
関連項目
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