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草柳良夫
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草柳 良夫(くさやなぎ よしお、1945年1月8日 - )は、神奈川県出身[1]のプロゴルファー。
来歴
要約
視点
相模カンツリー倶楽部出身[2]で、1965年にプロ入りする[1]。
1972年にはダンロップフェニックストーナメントの前身に当たる第1回「フェニックストーナメント」[3]で初日を青木功と並んでの10位タイ[4]でスタートし、2日目には増田光彦・佐々木勝・能田征二と並んでの6位タイ[5]に着け、3日目には村上隆・草壁政治と並んでの6位タイ[6]に留まった。
1973年には全日空札幌オープンでは河野光隆・陳清波(中華民国)と並んでの7位タイ[7]に入った。関東オープンでは初日を佐藤精一・田中文雄・新井規矩雄・村上と並んでの6位タイ[8]でスタートし、2日目には田中と共に尾崎将司・佐々木勝と並んでの2位タイ[9]、3日目には尾崎将と共に74で石井朝夫・佐藤・栗原孝と並んでの4位タイ[10]とする。最終日には上位陣が総崩れ[11]で激しい優勝争いから栗原・田中と通算4アンダー284で並び[12]、三つ巴のプレーオフ[13]では、最初の9番で栗原の10mのロングパットを決める好調な出足に押され、田中と共にボギーと躓く[12]。田中が2番目の1番でトリプルボギーを叩いて優勝争いから脱落する中、草柳は最後の18番でパーを取り追い上げたが、最初のボギーが痛く、栗原の2位タイ[12]に終わる。
1974年の太平洋クラブマスターズでは島田幸作・新井、ドン・ビーズ(アメリカ)と並んでの9位タイ[14]に入った。
1975年の沖縄クラシックでは初日を陳健忠(中華民国)・日吉定雄・謝永郁(中華民国)・沼澤聖一・坂下定夫と並んでの4位タイ[15]でスタートし、2日目には陳健・謝永・沼澤と並んでの2位タイ[16]に浮上するが、3日目には7位[17]に後退し、最終日には田中・山口吉久・金井清一・小林富士夫と並んでの10位タイ[18]に終わった。関東オープンでは青木・小林・杉本英世・新井に次ぐと同時に森憲二・謝敏男&陳健(中華民国)、草壁・河野高明・安田春雄を抑えての5位に入る[19] [20]。
1977年の日本プロでは2日目に中嶋常幸・島田と並び、首位の竹安孝博から2打差2位に入る[21]。
1978年の広島オープンでは2日目に68をマークして[22]新井・呂良煥(中華民国)・島田・杉原輝雄・小林と並んでの10位タイ[23]、3日目には新井と共に久保四郎と並んでの9位タイ[22]に着け、最終日には69をマークして島田・呂良と並んでの6位タイ[24]に入った。
1979年の三菱ギャラントーナメントでは2日目に69をマークし初日首位の宮本康弘と並んでの2位タイ[25]、3日目には新井と並んでの3位タイ[26]、最終日には中村通の2位[27]に入った。続く東北クラシックでは初日に6アンダー[28]66をマークし金本章生・中嶋・陳志明(中華民国)に1打差付けて単独首位[29]に立ったが、2日目は75と奮わず15位に後退[30]している。
1996年の日本プロシニア[1]を最後にシニアツアーから引退し、現在は横浜市神奈川区のトピックゴルフクラブ専属プロ[2]。
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脚注
外部リンク
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