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葛塚 (新潟市)
新潟県新潟市北区の町字 ウィキペディアから
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葛塚 (くずつか)は、新潟県新潟市北区の町字。郵便番号は950-3321[2]。
概要

1901年(明治34年)まであった葛塚村の区域の一部で、1970年代から現在までに白新町・石動の全域、および柳原・東栄町・かぶとやまの一部が分立した。
JR豊栄駅の周辺に位置し、区域は豊栄駅周辺部の住居表示化による分立に伴い、白新町、石動、柳原を取り囲むような形になっている。
北西から北部を通っている日本海東北自動車道周辺部に水田が残っているほかは、すべて市街地化している。
また、2021年2月まで葛塚町役場・豊栄町役場・豊栄市役所・豊栄支所・北区役所の所在地となっていた。
隣接している町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
→1901年以前の歴史については「葛塚村」を参照
分立した町字
1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- 石動(いするぎ)
- 1996年(平成8年)に分立した町字。新潟市編入により2005年(平成17年)に豊栄石動に改称したが、政令指定都市移行により2007年(平成19年)に石動に戻った。
- かぶとやま
- 2006年に葛塚の一部から分立した町字。
年表
- 1901年(明治34年)11月1日 : 合併により葛塚村が葛塚町となったため、葛塚町の大字である葛塚となる[4]。
- 1955年(昭和30年)3月31日 : 合併により葛塚町が豊栄町となったため、豊栄町の大字となる。
- 1970年(昭和45年)11月1日 : 豊栄町が市制を施行したため、豊栄市の大字となる。
- 1971年(昭和46年)12月1日 : 葛塚字白新町であった区域の大部分が「白新町」となる[4][広報 1]。
- 1982年(昭和57年)1月ごろ : 葛塚字柳原・葛塚字上大口・葛塚字樋ノ内のそれぞれ一部が「柳原」となる[広報 2]。
- 1987年(昭和62年)10月1日 : 葛塚字下大口の一部が「柳原」となる[広報 3]。
- 1996年(平成8年)11月 : 葛塚字下大口の一部が「石動」となる。
- 2005年(平成17年)3月21日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 2006年(平成18年)10月16日 : 葛塚字子辰高入の一部が「かぶとやま」となる[6]。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市が政令指定都市に移行したため、新潟市北区の大字となる。
- 2009年(平成21年)10月19日 : 一部が「柳原7丁目」となる[広報 4]。
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地域

自治会
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文化
- 他門の神楽
- 葛塚まつりで毎年奉納されている。江戸時代、庄屋親子が代官所より開市の許可書をもらって葛塚へ戻ってきた時、町衆が喜びのあまり桟俵(米俵の両端の蓋)を頭にのせて神楽を舞ったのが、始まりと伝えられている。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
主な企業・施設

交通
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道路
バス
- 新潟交通路線バス
- 他門 - 葛塚仲町 - 北区役所前
- E45 豊栄駅前 行
- 豊栄駅北口 - (石動一丁目) - 豊栄ショッピングセンター
- 芋黒 新潟医療福祉大学 行
- 芋黒 豊栄駅北口 行
- ※土曜・休日・年末年始は全便運休
- 豊栄ショッピングセンター
- 芋黒 新潟競馬場 行
- 芋黒 豊栄駅前 行
- ※中央競馬開催日・場外発売日のみ運行
- 北区バス
- 豊栄駅北口 - (豊栄駅南口) - 青木整形外科医院前
- (太郎代浜ルート)北区役所・文化会館 行
- (太郎代浜ルート)新富町入口・太郎代浜 行
- ※土曜・休日・年末年始は全便運休
- 豊栄ショッピングセンター
- (陽光ニュータウンルート)北区役所・文化会館 行
- (陽光ニュータウンルート)陽光ニュータウン 行
- ※土曜・休日・年末年始は全便運休
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脚注
参考文献
関連項目
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