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藤原宗俊

平安時代中期から後期の公卿。藤原北家中御門流。藤原俊家の次男。正二位・権大納言。中御門家(松木家)の祖・初代 ウィキペディアから

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藤原 宗俊(ふじわら の むねとし)は、平安時代中期から後期にかけての公卿藤原北家中御門流右大臣藤原俊家の次男。官位正二位権大納言松木家の祖。

概要 凡例藤原 宗俊, 時代 ...

経歴

後冷泉朝天喜5年(1057年従五位下叙爵し、翌天喜6年(1058年侍従に任官。康平2年(1059年)従五位上・左近衛少将に叙任されると、康平3年(1060年正五位下次いで従四位下、康平6年(1063年)従四位上・右近衛中将、康平7年(1064年正四位下と近衛次将を務めながら順調に昇進した。

治暦元年(1065年蔵人頭に補されると、治暦3年(1067年)に参議に任ぜられて公卿に列す。議政官の傍らで引き続き中将を兼ね、後三条朝に入っても、治暦4年(1068年従三位延久2年(1070年正三位と昇進を重ねた。白河朝承保2年(1075年従二位承暦4年(1080年権中納言に叙任され、寛治6年(1092年権大納言に至る。

永長2年(1097年)5月5日薨去享年52。最終官位は権大納言正二位兼按察使

人物

など管弦に秀で、それを子の宗忠宗輔らに伝えた。

逸話

宗俊は豊原時光の笙の弟子であった。時光が宗俊に対して大食調の入調を今に教えようといいながら、教えることがないまま年月を経ていた。雨が激しく降っていたある夜、時光が「今夜こそは入調を伝授したい」と来訪した。宗俊は喜ぶが、時光は「殿中では誰かに聞かれてしまうかもしれないので、大極殿に行きましょう。供は時光一人で。」と申し上げた。大極殿でまさに秘曲を伝授しようとした時、「このような所でも曲を聴こうとして誰か隠れているかもしれない」と言って、時光は松明を取って辺りを見回したところ、蓑笠を着た者が一人柱の陰にいた。誰かと問うたところ、笙の名人の武吉(武能)であった。そこでやむなく、時光と宗俊は伝授ができないまま帰ったという(『古事談』)

官歴

公卿補任』による

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系譜

脚注

参考文献

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