トップQs
タイムライン
チャット
視点
藤波光忠
ウィキペディアから
Remove ads
藤波 光忠(ふじなみ みつただ)は、江戸時代後期の日本の公卿、神宮祭主。
生涯
神宮祭主藤波寛忠の子として、寛政4年(1792年)に生まれる。
寛政8年(1796年)、5歳で叙爵される。寛政12年(1800年)、元服、昇殿を許され、同日従五位上神祇権大副となった。文化3年(1806年)、父より祭主職を譲られる。文化9年(1812年)、21歳で従三位に叙され、公卿に列せられた。
官歴
|
|
Remove ads
系譜
伝承
光忠には奈保子(なほこ)という娘がおり、遷宮勅使庭田重胤が明治元年(1868年)の参向してから寵愛を受けて、私通の末誕生した子供が竹内巨麿であるという。この奈保子は、明治8年(1875年)3月18日に巨麿と従者を連れ花見に出かけたが、暴漢に襲われて亡くなった[1]。しかしこれらには史的根拠が無く、藤原明は、出自を伊勢神宮に求めたという点に注目するべきだとしている[2]。
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads