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藤波和忠

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藤波 和忠(ふじなみ かずただ)は、江戸時代中期の日本の公卿神宮祭主

概要 凡例藤波 和忠, 時代 ...

生涯

宝永4年(1707年)、当時神祇権大副の徳忠の子として生まれる。宝永8年(1711年)に5歳で叙爵され、正徳5年(1715年)、9歳で元服・昇殿を許され、同日に左京大夫に任じられ、以降順調に昇叙していった。

享保12年(1727年)、21歳で祭主となるが、同年中に両親を亡くす。享保18年(1733年)、従三位に叙され公卿に列するが、嫡男の駿麿を亡くした。その後は男児に恵まれず、遂に実弟・效忠を養子に迎え入れたが、こちらも寛延4年(1751年)1月に6歳で亡くなってしまう[1]。そのため、同年9月25日には、下冷泉家の宗家の次男久丸を婿養子として迎え入れることにした[2]。宝暦9年(1764年)、待望の男児、寛忠が生まれた。しかし祭主職は、三年後の宝暦12年、そのまま養子・季忠に継承された。

明和2年12月5日、正二位に叙される。その翌日、59歳で薨去した。

官歴

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系譜

脚注

参考文献

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