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藤波季忠
日本の公卿、神宮祭主 ウィキペディアから
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藤波 季忠(ふじなみ すえただ)は、江戸時代中期から後期にかけての日本の公卿、神宮祭主。
生涯
下冷泉家12代当主冷泉宗家の次男として、元文4年(1739年)に生まれる。寛延4年9月25日(1751年11月12日)、男児に恵まれなかった藤波和忠の養子となり[1]、同年中に叙爵。翌宝暦2年2月24日(1752年4月8日)に14歳で元服し、昇殿を許された。明和4年(1767年)、従三位となり、公卿に列せられた。
安永7年(1778年)、祭主職を藤波寛忠に譲った。伊子との間には実子義道がいたが、寛政11年(1799年)、菅原氏流地下家若江家の長公の養子となった[2]。養父和忠に大中臣氏二門の男児が生まれた以上、祭主職はその男児すなわち寛忠に継承された。季忠の祭主職就任は特例にして中継ぎであった[3]。
天明7年12月2日(1788年1月9日)、直衣を許される。享和2年3月23日(1802年4月25日)、妻・伊子に先立たれる[4]。文化10年(1813年)、75歳で薨去した。
官歴
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系譜
脚注
参考文献
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