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西田稔 (野球)
日本の野球選手 (1935-1994) ウィキペディアから
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西田 稔(にしだ みのる、1935年1月24日 - 1994年6月12日[1])は、京都府[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
立命館高校では平井嘉明と同期。エースとして1951年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが、城南高に敗退。翌1952年夏の甲子園府予選は決勝で山城高に完封負け、甲子園には届かなかった。卒業後は立命館大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1954年春季リーグで優勝を経験。当時の投の二本柱である西尾慈高、紀藤広光がプロ入りしたため、同年秋季リーグからエースとして活躍。しかし大学をで中退し、1956年に阪急ブレーブスへ入団。リーグ通算成績は29試合登板、11勝16敗であった[1]。
1958年には26試合に登板し6勝をあげる。翌年も28試合に起用されるが、その後は登板機会が減り、1961年限りで引退。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 21 (1956年 - 1961年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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