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赤﨑秀平

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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赤﨑 秀平(あかさき しゅうへい、1991年9月1日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)

概要 赤﨑 秀平, 名前 ...
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来歴

要約
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プロ入り前

小中学生時代はクラブチームのパルティーダ鹿児島でプレーし、高校は佐賀県立佐賀東高校に進学し、天皇杯にも出場。浦和レッズからもオファーを受けたが[1][2][3]、2010年、筑波大学へ進学。1年生でレギュラーに定着し、2010年、2012年に関東大学サッカーリーグ戦得点王を獲得した[4]。関東大学サッカー通算で74試合48得点を記録し、同リーグの通算最多得点(渡邉千真の37得点)を更新した[2][5][6]。なお、大学2年間、風間八宏から指導を受けた。ユニバーシアード日本代表として2011年深圳大会2013年カザン大会に出場し、2011年は優勝、2013年は大会得点王となった[6]

鹿島アントラーズ

2013年4月に翌年の鹿島アントラーズ加入内定が発表され[7]、同月には特別指定選手として鹿島に登録され[8]、8月3日の大宮アルディージャ戦でJ1デビューを果たした[6]

2014年、鹿島に加入。4月16日のヤマザキナビスコカップ仙台戦でプロ初ゴール。11月29日のJ1第33節・C大阪戦で、クラブの大卒加入者リーグ戦最多通算得点(5得点目)を記録した。

2015年、ブラジル人FWのダヴィジネイが負傷した影響でコンスタントに出場機会を得て、ヤマザキナビスコカップでは準決勝までの4試合で2得点1アシストと結果を残しニューヒーロー賞を受賞[9]、チームも優勝した。

FIFAクラブワールドカップ2016では、エース金崎夢生のコンディションが万全でないこともあって、1回戦vsオークランド・シティ戦で先発出場を果たすと、同点ゴールを記録[10]。その後も引き続き先発に抜擢され続け、チームの準優勝に貢献した。

ガンバ大阪

2017年3月11日、鹿島と対戦する公式戦には出場しないことを条件にガンバ大阪へ期限付き移籍することが発表された[11]。10月4日、ルヴァンカップ準決勝第1戦のセレッソ大阪戦で移籍後初得点を決めた。しかし、出場機会は多く得られず同年の公式戦は19試合2得点に留まった。

川崎フロンターレ

2018年、川崎フロンターレに完全移籍で加入[12]。しかし、層の厚いチャンピオンチームで主軸となれず、リーグ戦の出場は1試合に留まった。

名古屋グランパス

2019年1月12日、川崎と対戦する公式戦には出場しないことを条件に名古屋グランパスへ期限付き移籍することが発表された[13]。3月2日のセレッソ大阪戦で移籍後初得点を含む2得点を決めた。

ベガルタ仙台 

2019年12月25日、ベガルタ仙台への完全移籍が発表[14]

2022年3月31日、海外クラブへの移籍を目指すため、ベガルタ仙台との契約を解除し退団した[15]

南葛SC 

2022年7月27日、南葛SCへの完全移籍が発表された[16]

2023年1月5日、南葛SCとの契約を更新[17]。だが1月17日、体調の問題によりアスリート活動の継続にドクターストップがかかったため、現役を引退すると発表された[18]

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プレースタイル

相手選手の視野から消え、スペースを作り、オフザボールで勝負する動きの質に自信を持つストライカー[19]。関東大学リーグで2010年、2012年に得点王になるなど得点能力が高く[20]、鹿島入団後も2015年に9得点を決め、ゴール数も増加している。そのプレースタイルから鹿島常務(当時)の鈴木満には「動き出しがいい。ヤナギ(柳沢敦)に似ている。 ボールを引き出すのがうまい」と評価されている[21]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
  • 2013年は特別指定選手登録

その他の国内公式戦

さらに見る 国際大会個人成績, FIFA ...

その他の国際大会

出場歴
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タイトル

クラブ

佐賀東高校

  • 佐賀県サッカー選手権大会:1回(2009年)

筑波大学

鹿島アントラーズ
川崎フロンターレ

個人

代表歴

出場大会

出典

関連項目

外部リンク

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