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路木龍次
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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路木 龍次(みちき りゅうじ、1973年8月25日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手(DF)。左サイドのスペシャリスト。元日本代表。実兄は路木健。
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経歴
国見高から1992年にサンフレッチェ広島に入団。同期には吉川公二がいる。当初は左サイドバックとして片野坂知宏の控えであったが、徐々に成長し出場機会を得出す。1995年、監督がビム・ヤンセンに代わると完全にレギュラー獲得。3-4-3の左ウイング・左サイドハーフ、あるいは3-5-2の左ウイングバックとして活躍、ピーター・ハウストラとのコンビでチャンスを量産した。[要出典]1996年にはアトランタ五輪代表レギュラー、その年末には初めてフル代表に選ばれた。
その後、広島が財政難に陥り、移籍金を得るため1998年に横浜マリノスに放出される。[要出典]怪我の連続で満足に試合に出られず、1999年6月には浦和レッドダイヤモンズへ期限付き移籍し[1]、翌年2000年に完全移籍[2]。2003年1月にヴィッセル神戸に移籍するが、家庭の事情により一ヶ月で退団[3]。同年、練習生を経て[4]大分トリニータに入団するも、契約満了により6月に退団[5]。
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エピソード
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- 国見高時代に小嶺忠敏から「プロでは無理だ」とアドバイスを受けたと言われている。[要出典]
- アトランタオリンピックの対ブラジル戦で、GKとDFの間にクロスを上げ、伊東輝悦のゴールにつながった。(マイアミの奇跡)
- 浦和在籍時、スタンドから投げつけられたペットボトルを投げ返し、激怒した浦和サポーターからさまざまなものを投げつけられるきっかけを与えてしまい、後日謝罪している。[要出典]
- アトランタ五輪ではチームメイトだった前園真聖は、路木の引退後に恵比寿で目撃したのが最後で、それ以来会えておらず再会を熱望しており、同じく代表メンバーだった服部年宏も「菊地利三と路木がそろったらすごい」とYouTubeの動画で述べている[6]。
所属クラブ
- 長崎県立国見高等学校
- 1992年 - 1997年 サンフレッチェ広島
- 1998年 - 1999年 横浜マリノス/横浜F・マリノス
- 1999年6月 - 同年末 浦和レッドダイヤモンズ(期限付き移籍)
- 2000年 - 2002年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2003年 - 同年2月 ヴィッセル神戸
- 2003年4月 - 同年6月 大分トリニータ
個人成績
その他の公式戦
- 1994年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 初得点:1995年4月26日J1st対ベルマーレ平塚戦(平塚競技場)
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代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(1996年 - 1997年)
出場
脚注
- 1998年は横浜マリノス
出典
関連項目
外部リンク
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