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遠州洋悠仁

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遠州洋 悠仁(えんしゅうなだ ゆうじ、1992年4月29日 - )は、静岡県磐田市出身で北の湖部屋に所属していた元大相撲力士。本名は鈴木 悠仁(すずき ゆうじ)。身長167cm、体重159kg。血液型はB型。最高位は西三段目49枚目(2013年5月場所)。

概要 遠州洋 悠仁, 基礎情報 ...
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人物

幼少期より相撲を始め、小学校4年次には静岡県代表として相撲大会に出場、小学校6年次には相撲の全国大会へ出場している[1]磐田市立福田中学校時代は相撲部がないため、柔道部へ所属した。2006年悠仁親王が誕生した際、同じ名前(読みは異なる)だったことから、地元紙の静岡新聞でも紹介された[1]。2007年8月に山形県で行われた、第38回全国中学校柔道大会に出場している。[2]

中学校卒業後北の湖部屋に入門し、2008年3月場所で初土俵。新弟子検査は、身長が基準を満たさないため、第2新弟子検査を受検している。前相撲では新序2番出世となり、翌5月場所で番付に名前が載る。初めて序二段に昇格した9月場所を5勝2敗で終えた後、翌11月場所からは長期休場となる。

2009年3月場所からは番付外となっていたが、同年11月場所から土俵に復帰し、前相撲をとったため再出世、翌2010年1月場所から再び番付に名前が載るようになる。同場所は西序ノ口25枚目であったが、5勝2敗としたところで、出場している人数の関係で八番相撲を取ることとなった。八番相撲は八菅山に敗れ、この場所の成績は5勝3敗となったが、八番相撲の負けは番付編成に反映しない規則となっているため、5勝2敗扱いとなる。同年5月場所は序二段で6連勝とし、勝てば優勝決定戦進出の可能性もあったが、斉心に敗れて6勝1敗となり、序二段優勝を逃した。その斉心は佐々木山との優勝決定戦に勝利し、序二段優勝を果たしている。

同年9月場所では三段目に昇格。以降は三段目と序二段の往復が続いている。2012年11月場所は序二段で再び6連勝したが、7番相撲で三段目の大乗に敗れて6勝1敗となり、優勝決定戦への進出をまたも逃した。2013年7月場所では、5日目の取組で左膝前十字靭帯を断裂して途中休場。翌場所以降は3場所連続で全休を続けて2014年3月場所で番付外まで転落したが、5月場所で復帰して、前相撲は3連勝で最初に出世を決めた[3]。同年11月場所を最後に引退した。

2020年11月より、YouTubeチャンネル「Re:アカルイミライ」を開設。ボーカリストのトウマと共にバラエティ動画を配信している[4]

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略歴

  • 初土俵:2008年3月場所
  • 序ノ口:2008年5月場所
  • 序二段:2008年9月場所
  • 三段目:2010年9月場所

主な成績

  • 通算成績:96勝83敗46休(35場所)
さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...

四股名

  • 遠州洋 悠仁(えんしゅうなだ ゆうじ) 2008年3月場所 - 2014年11月場所

脚注

関連項目

外部リンク

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